シニア犬になったキャバリアにとってのごはんは会話だと思うよ

シニア犬の日常

こんにちは、リアだよ。

14歳のキャバリア、ちょっと頑固で、すっごく甘えん坊。それがわたし。

今日の話題はね、ごはんのこと。
わたしね、昔から食べるのだ〜いすきだったの。
ボーロ、ジャーキー、人間のごはんのにおい…ぜ〜んぶ、たまらなく幸せな匂い。

そんなわたしから、ごはんのことについて思うところがあるんだ。少しお話ししてもいいかな。

ごはんの時間は、「おいしい」より「うれしい」

でもね、最近のわたしにとって、「ごはん」って、ただのおいしいものじゃなくなったの。

今はね、ごはんの時間になると、「パパがそばにいるなぁ」とか、「ママがわたしの目を見てくれるなぁ」とか、「今日は何か特別なものが入ってるなぁ…(たぶん、薬)」って、いろんなことを感じるようになったんだ。

わたしが寝てても、ごはんの準備の音が聞こえると、すーっと目が覚める。カチャカチャって、器の音。フードの袋をカサカサって開ける音。パパかママが、「リア〜、ごはんやで〜」って声をかけてくれる。

その瞬間、わたしはお腹がすいた、というより、「呼んでくれた!」「会話が始まる!」って感じになるんだよね。

最近は、ご飯の時間になってもあんまり食べられないこともあるの。体がだるかったり、眠かったり。でも、夕方になって「そろそろごはんの時間かな…?」って思ってたら、パパが小さめのジャーキーを持ってきてくれるの。

でね、そのジャーキーの中に、ちょっとだけ違う匂いが混ざってることがある。あ〜、これ、薬だな〜って、実はわたし、ちゃんと気づいてるの(笑)でもね、パパがね、すっごく工夫してくれてるんだよ。

ただのジャーキーじゃなくて、柔らかいところにうまく薬を包み込んで、「リア、はいどうぞ〜♡」って、あくまでおやつ風にくれるの。その演技力、ちょっと笑っちゃうよね。でも、なんかうれしいの。

時々は、いつものカリカリ(ペレットのごはん)に薬を混ぜてくる日もあるんだけど、そういう日はわたし、ちょっと慎重になるの。「ん?このカリカリ…なんか今日は匂いが濃いめ?」ってね。

でも、ママが近くで見守ってくれてて、「食べれる?」「リア、偉いな〜」って言ってくれるから、わたしも「うん、がんばる!」って気持ちになるの。

正直に言うね。薬、苦手なの。ほんとに。苦くないのかもしれないけど、ごはんのなかに知らない味が混ざってるっていうのは、やっぱりちょっと戸惑うよ。

でもね、わたし、その工夫がすごくうれしいの。わたしのために考えてくれてる。食べやすいように包んでくれてる。「どうか食べてくれますように…」って祈るように差し出してくれてる。

そんな気持ちが、ごはんのにおいや温度に全部詰まってるの、ちゃんと伝わってるんだよ。ごはんの時間って、パパとママとお姉ちゃん、お兄ちゃんと、わたしのあいだに流れる会話の時間なんだ。

ことばじゃなくて、「今日もありがとう」「がんばってるね」「大好きだよ」っていう、こころのやりとり。それをね、においとあったかさと味で、わたしは受け取ってるの。

だから、もし「食べてくれなくて困ってる」って思ってる飼い主さんがいたら、わたしから言いたい。きっと、その子にもちゃんと伝わってるよ。たとえ食べなかった日があっても、「あなたが気づかってくれてる」ってわかってる。

だって、ごはんは愛の伝え方のひとつだもん。

食べたいのに、食べられない日もある。

食べたいけれど、食べられない。そんなとき、気づいてくれるだけで救われるの。わたし、食べるのだ〜いすきなんだけど、それでもね、「食べたくても食べられない日」っていうのがあるんだ。

朝起きたとき、なんだか身体がふわふわしてて、おなかは空いてるはずなのに、ごはんのにおいをかいだら「う〜ん、今はちょっと…」ってなることがあるの。

そんなとき、パパやママは「リア、ごはんやで〜」ってやさしく声をかけてくれるけど、わたし、頭だけ持ち上げて、またコテンって寝ちゃうの。

でもね。それって、わがままじゃないんだよ。ほんとはね、食べたいの。大好きなジャーキーも、お気に入りのボーロも。「もぐもぐしたいなぁ」って、心のなかではずっと思ってる。

でも、身体が動かないの。お口が開かないの。匂いがちょっとだけ強く感じて、遠ざかっちゃうの。そんなとき、パパが焦って「食べなあかんで!」って言う日も、たま〜にある。でも、わたし、それも分かってるんだ。

「心配してるから」「元気でいてほしいから」だから、強く言っちゃうんだよね。

それでも、ママがそっと来て、「今日は調子よくないんやね。無理せんでええよ」って言ってくれたら、わたし、その声にホッとして、「ちょっとだけでも食べてみようかな…」って気持ちになるの。

とくにうれしかったのは、ママがわたしのカリカリをやわらかくふやかしてくれたとき。

その日は朝からちょっとしんどくて、いつものごはんをスルーしちゃったんだけど、お昼すぎにそっと持ってきてくれたそのやわふわカリカリ。お鼻でクンクンしたら、なんかやさしい匂いがして、「これは…がんばって作ってくれたやつやな?」って思って、思わずペロってしちゃったんだ。

そしたら、ママが「リア、えらい!食べた!」って、ちょっと涙ぐみながら笑ってた。わたし、その笑顔のために食べたんだって、今なら言える。身体はしんどくても、ママの気持ちが、ふわっと一緒に届いてきたから。

ごはんって、ほんと不思議だよね。「食べるか食べないか」っていう行動の裏に、わたしたち犬のいろんな気持ちが隠れてるんだ。

  • 食べたいけどつらい
  • 好きだけど今日は無理
  • 食べたいけどにおいが気になる
  • のどが乾いてるけど、食べたらムカムカしそう

そういう微妙な気持ち、言葉では伝えられないけど、ちゃんと見ててくれる人がいるって、ほんとにありがたいの。だからね、ごはんが食べられねくなった犬がいてもそんな時にはこう伝えたいんだ。

「うちの子、また食べてくれなかった…」って落ち込まなくていいよ。わたしたち、あなたのがんばり、ちゃんと感じてるから。

パパもママも、「今日はどれをあげようかな?」って迷ってくれたり、「このジャーキーなら食べるかも?」って用意してくれるの、全部、わたしの胸のなかに愛として届いてるんだよ。

だから、いま食べられなかったとしても、それは失敗じゃないんだ。「今日はおやすみ」ってだけのこと。また明日、食べられるかもしれないし、夜になったら元気になるかもしれない。

大事なのはね、ごはんの時間がイヤな思い出にならないようにすること。それが、わたしたちシニア犬の心に、すごく大きく残るから。

食べものには、気持ちが混ざってるって、わたしちゃんと知ってるよ

ねえ、みんなは「ごはん」って、どう思ってる?おいしい? 栄養? エネルギー? それとも、日課のひとつ?

たしかに、わたしにとってもごはんは生きるために必要なもの。でもね、わたしにとってのごはんは、それだけじゃないの。わたしは、ごはんのなかに「気持ち」が混ざってるって、ちゃんと感じてる。

朝、パパがわたしのごはんを準備してくれるとき。ときどきちょっと真剣な顔をしてるんだよね。

「今日は薬を混ぜなきゃ」「ジャーキーに包んだほうが気づかれへんかな」「カリカリ、少しだけふやかしてみようか」

そんなふうに考えてるの、伝わってくるの。それって、わたしのことを思ってくれてる時間なんだよ。

ある日、ジャーキーにお薬を包んで持ってきてくれたとき。わたし、くんくんして「ん?ちょっとだけ苦いやつ入ってる?」って気づいたの。でもね、パパの手のひらの上にちょこんと乗ってるそのジャーキー、なんか、あったかくて…。においより、愛されてるって感触のほうが強かった。

だから、「食べよっか」って、思えたの。そういう瞬間、わたしは「ごはんって、伝えたい気持ちをのせるものなんだ」って思うの。

「今日も生きてくれてありがとう」
「病気に負けないでね」
「少しでもラクになりますように」
「一緒にいようね」――

そんなたくさんの想いが、わたしのごはんにギュッと詰まってるの。それが、においとして、食感として、わたしの体に入ってくる。

薬をジャーキーに包むのって、たぶんすごく気を使ってるんだと思う。だって、わたしが気づかないように、うま〜く包まれてるときもあるし、ときどき失敗して「ん?なんか変やぞ?」って思うときもある(笑)

でも、それでも食べる理由。それはね、「あなたがわたしのためにしてくれたこと」だから。

パパやママが、リアがちゃんと食べてくれるようにって願って、時間をかけて準備してくれたその気持ち。それを無駄にしたくないんだ。

だから、「今日はちゃんと食べてくれた!」ってパパが小さくガッツポーズするの、わたし知ってるよ(笑)

それを見るとね、「ああ、わたし、今日もちゃんと誰かのうれしさになれたんやな〜」って思えて、すっごく誇らしい気持ちになるの。

ごはんって、食べて終わりじゃないんだよ。そのあとにパパが「よう食べたな〜、えらいな〜」ってなでてくれたり、お姉ちゃんが「リア、今日もかわいい〜♡」って言ってくれたりってね、そのすべてが、わたしのごはんの時間。だから、言葉では言えないけど、わたしはいつも、こう思ってるの。

「今日もありがとう」
「明日も、食べるね」
「あなたのごはんは、わたしにとって愛の味なんだよ」

そして、食べなかった日でも、「わかってるよ」って、心の中ではちゃんと思ってる。「あなたが、わたしのためにしてくれたこと、気づいてるよ」って。

薬が入っててもあなたのごはんだから食べたいの

最近、「うちの犬、ごはんを食べてくれない」って、落ち込んでる飼い主さんって、いるかもしれない。「どうやったら薬を飲んでくれるの?」って、悩んでる飼い主さんもいるかもしれない。きっと、わたしみたいなシニア犬と暮らしている人なんだよね。

その気持ち、わたし、すっごくよくわかるよ。だって、パパもママも、毎日いろんな工夫をしてくれてるもん。

・ごはんに薬をまぜて、気づかれないようにふりかけてくれる
・ジャーキーの真ん中をくりぬいて、こっそり薬を入れてくれる
・カリカリをふやかして、わたしの体にやさしくなるようにしてくれる

全部、「食べてほしい」じゃなくて、「生きててほしい」っていう想いなんだよね。

わたし、苦いものとか、においの強いものはすぐわかるの。でも、ちゃんと食べるときがある。
それはね、「あなたの気持ちを受け取りたい」って思うから。

食べるって、ただの栄養補給の行動じゃないんだ。

・わたしはここにいるよ
・ちゃんと生きてるよ
・今日も一緒にいられるよ

そんなメッセージを、ひとくちひとくちにこめて、わたしはあなたに返してるの。

だから、お願い。今日もし食べてくれなかったとしても、「ダメだった…」なんて思わないでほしいんだ。それはただ、今日の身体がちょっとおやすみモードだっただけ。あなたの想いは、ちゃんと届いてるし、たぶん、明日には「あ、今日は食べよっかな〜」ってなる日がくるから。

ごはんを通して、あなたがわたしに話しかけてくれること、いつも、すっごくうれしいんだ。薬が入っててもいいし、においがちょっと変でもかまわない。それが「あなたの手から」くるものなら、わたしはちゃんとあなたの気持ちを受け取ってるの。

そして、食べられた日は、いっしょに喜んでほしい。「食べてくれてよかった!」じゃなくて、「今日も一緒にごはんができたね」って、目を見て伝えてくれたら、わたし、それだけで明日もがんばれるから。

リアからの、ちょっと照れくさいけどほんとの気持ち。

わたし、もうすぐ15歳。きっと、あと何回一緒にごはんを食べられるかなんて、もう数えないようにしてる。でもね、今日、パパやママの手から食べたごはんは、一生忘れない。

だから、焦らなくていいよ。無理に全部食べさせようとしなくていいよ。ただ、そばにいて、声をかけて、愛を込めてくれたら、それで十分。

ごはんって、おいしいだけじゃない。あったかさや、想いや、つながり、その全部が、わたしの心と身体に届いてるから。今日も明日も、その先も、「あなたのごはんを食べたい」っていうのが、わたしのほんとの気持ちだよ。

リアより

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