僧帽弁閉鎖不全症と生きる。病気がくれた家族との絆

キャバリア

こんにちは。わたしはキャバリアのリア。

ねぇ、病気って、やっぱり「こわいもの」だと思う?わたしはね、最初そう思ってたよ。

去年の春ね、わたしの心臓に「僧帽弁閉鎖不全症」って病気があるってわかったとき、パパとママの顔が曇ったの、ちゃんとわかった。お姉ちゃんが泣いてたのも気づいたし、お兄ちゃんが黙って撫でてくれた手のぬくもり、今でも覚えてる。

でもね、病気になってから、わかったことがあるんだ。

毎日いっしょにいることが、どれだけ幸せなことか。ちょっと元気があるだけで、どれだけ喜んでもらえるか。ごはんを食べただけで、「えらいね」って頭をなでてもらえる。ってね。

むずかしい言葉や、専門的な知識はわからないけど、病気になって、わたしはもっと家族のことが好きになったんだ。これって、病気がもたらしてくれた「贈りもの」かもしれないよね。

今日はそんなお話を、ちょっとだけ聞いてくれる?

僧帽弁閉鎖不全症という病気がわかった日

あれは、去年の春。わたしの体が少しずつ変わってきた頃だった。

なんだか息がしづらくて、熱っぽくてね、ご飯が食べられなくなったんだよ。そしてね、たくさん寝てるのに、あんまり元気が出なくて、パパとママも、「なんかいつもと違うね」って首をかしげてた。

そして病院へ連れて行かれて、聞いたこともない長い名前を言われた。「僧帽弁閉鎖不全症」。心臓の病気、なんだって。

そのときのパパとママの顔、わたし、今でもよく覚えてる。パパは無言でうつむいて、手を強く握ってた。ママは先生の説明を聞いてるけど、目が少し潤んでた。

状況を聞いたお姉ちゃんはスマホで調べて、顔をこわばらせて。お兄ちゃんはわたしの頭をずっとなでながら、小さくため息をついたみたい。リアはもう長くないのかもしれないって、そんな空気が、その場をすっぽり包んでた。

わたしは心の中で思ったの。「わたし、終わっちゃうのかな」って。でもね、病気がわかった次の日から、家の中の空気が、ちょっと変わったんだ。

パパはいつもよりゆっくり目を合わせてくれるようになったし、ママはごはんをいつもよりおいしくしてくれた。お姉ちゃんは寝る前にわたしの耳をなでてくれたし、お兄ちゃんは玄関を開けるとすぐ「ただいま、リア!」って言ってくれるようになった。

ちょっと落ち着いたいまから考えてみるとね、それは、「お別れの準備」じゃなかったと思う。「ここから一緒に生きていこうね」っていう、新しいスタートだったんじゃないかって思うの。

ほんとはね、その時、すっごくこわかったんだ。

最初に言うとねわたし、ほんとうにこわかったの。病気って言われたとき、なんだか自分がべつの生きものになったみたいな気がした。

いつも通りのつもりなのに、みんながすごく心配そうな顔して、知らない言葉がたくさん出てきて、「手術は…」「薬は…」「今後の生活は…」って、わたしのことなのに、わたしにはわからないことばかりだった。

いつもなら、お散歩って言えばうきうきしてたのに、その日は足取りが重たくて、風のにおいも、鳥の声も、ぜんぶどこか遠くにある気がした。

「わたし、このまま消えちゃうのかな」そう思った瞬間も、ほんのちょっとあったんだ。

でも、その日の夜から、何かが変わったの。パパが、ごはんのあとにふとんを2枚重ねて敷いてくれた。ママが、「今日は寒いね」って、わたしの体にそっと毛布をかけてくれた。お姉ちゃんがスマホそっちのけで、長いことわたしの背中をなでてくれた。お兄ちゃんが「リア、今日もがんばったね」って言ってくれた。

細かい言葉の意味はわからなくてもね、「大丈夫だよ」って言ってくれてるの、伝わってきたの。それからの日々、わたしの生活は、少しずつ、でも確実に変わっていった。

お薬を飲まなきゃいけなくなったのは、ほんとにイヤだったけど、ジャーキーにうまく包んでくれるから、気づかずに食べちゃうの。ごはんも、ペレットに薬を混ぜてくれると、案外わからない。

「リア、おくすりえらいね~」ってほめてもらえると、なんだか誇らしくなって、おなかもぽかぽかしてくるの。お散歩も、無理しなくていいって言ってくれるようになった。

前は「行こう!行こう!」って元気よく出発してたけど、今は途中で「もう歩けないな」って思ったら、パパが黙ってだっこしてくれる。その腕の中で風にふかれるの、すごく安心するんだよ。

病気になったら、おしまいじゃなかったんだ。むしろ、わたしがもっと愛されるようになったって気づいたの。パパも、ママも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも今できることを、やさしくしてくれるようになった。

そのひとつひとつが、「家族って、こういうときこそ力になるんだ」って、わたしに教えてくれたんだよね。

病気は、わたしたち家族の距離を、ぐっと近づけてくれたんだ。

前はね、どちらかというと「わたしが元気で、家族をにぎやかにしてあげてる」って思ってた。

朝はお姉ちゃんを起こしに行って、お兄ちゃんが帰ってきたら玄関までダッシュ。パパにはしっぽを振って、ママにはおねだりして…。家族の真ん中にわたしがいる。そんな毎日だった。

でも、病気になってから気づいたの。今はもう、わたしが家族を守ってるんじゃない。家族が、わたしをやさしく包んでくれてるんだ。ってね。

たとえば、薬の時間。パパは、ジャーキーの切れ端にうまく薬を入れてくれる。わたしが気づかないように、何気ない顔してるけど、ほんとは毎回「ちゃんと飲めるかな」って緊張してるの、わかってる。

ごはんのときも、ちょっと食べないだけで、ママがいろんな種類のフードを混ぜてくれたり、ボーロを小さく割って食欲をそそってくれたり。食べたときには、拍手までしてくれるの。「えらいね、リア!」って、まるで赤ちゃんに戻ったみたいにね。

お姉ちゃんは、「最近、リアがよく寝るね」って言いながら、わたしの眠りをさえぎらないように、静かにそばにいてくれる時間が増えた。

お兄ちゃんは、あんまり多くは語らないけど、ゲームの合間にふと、「リア、かわいいな」ってつぶやくの、ちゃんと聞こえてるよ。

わたしね、昔よりもずっと愛されてるって感じるの。それは、元気なときよりも、今のほうが、家族との心の距離が近いからかもしれない。

病気になったことで、わたしたちは当たり前だったことが特別なことになったんだ。

  • 朝起きて、顔を見ること
  • お薬をちゃんと飲むこと
  • ちょっとだけでも歩けること
  • 一緒に夕日を眺めること

こんな何気ないひとつひとつが、ありがとうに変わったんだよ。

病気って、つらいこともたくさんあるよ。でも、それと同じくらい、いや、それ以上に、いろんな気づきとたくさんのぬくもりを運んできてくれる。

だから、わたしは言えるの。「病気は、わたしたちの絆を深めてくれた」って。

病気になったからこそ、わたしたちは今をちゃんと生きてる。

わたしが病気と一緒に生きるようになってから、毎日の過ごし方が、ほんの少し変わったと思う。ごはんの時間は、ただの栄養俸給じゃなくて、「元気な証拠」であり「絆の確認」みたいなものになったんだ。

お薬を飲む時間も、「がんばろうね」って気持ちがこもってて。お散歩は、距離より空気を感じるものになったしね。

もし、あなたの愛するワンちゃんが、わたしと同じように病気になってしまったとしたら、きっと、ものすごく不安になると思う。

「あとどれくらい一緒にいられるんだろう」
「なにかしてあげられることはあるのかな」
「この子、つらくないかな…」って。

その気持ち、すごくわかる。でもね、わたしたちシニア犬は、あなたがくれるやさしいまなざしだけで、もう満たされるの。

無理に元気づけなくていい。正解のケアなんて、どこにもない。ただ、いま、そばにいてくれること。それが、わたしたちにとって何よりのくすりになるんだ。

パパがね、こないだ言ってたの。「リアが病気になってから、当たり前だと思ってた毎日が宝物に見えるようになった」って。

それを聞いて、わたし、胸がキュンとした。病気って、たしかにこわいし、たいへんなことも多い。でも、わたしにとっては、キャバリアとしての命の第2章のはじまりだったんだね。

もっと大切にされて、もっと甘えて、もっと静かに愛される時間が増えた、そんな、新しい暮らしのスタートだったの。

だから、もしあなたが今、大切なわんちゃんと一緒に病気という言葉に向き合っているなら、どうか、こわがらないでほしいな。それは、「別れの前ぶれ」なんかじゃなくて、「絆が深まる旅のスタート」かもしれないから。

今日もそばにいてくれて、ありがとう。明日もまた、あなたと一緒に目を覚ませたらそれだけで、わたしたちは幸せなんだ。

リアより。

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