心臓病のシニア犬キャバリアの小さな幸せのかけら

シニア犬の日常

こんにちは。あたし、リア。

キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルの女の子で、今は14歳。年齢でいえば、人間でいうと70歳くらいのおばあちゃん…かな?

でも、パパには今でも「お姫さま」って呼ばれてるの。うふふ、ちょっと照れちゃうけどね。

実はね、数年前に「僧帽弁閉鎖不全症(そうぼうべんへいさふぜんしょう)」っていう心臓の病気って診断されちゃったの。うん、なんだか難しい名前でしょ?

お医者さんにそう言われたとき、パパとママの顔が一瞬だけ曇ったのを、あたし見逃さなかったよ。パパ、病院の帰り道、ハンドル握りながら涙こらえてたもん。

でもね、それから何年も経った今でも、あたし、ちゃんとここにいる。お薬は毎日飲んでるし、前みたいに長く走ったりできないけど、それでも「あたしの時間」はゆっくりと、しっかりと進んでるの。

病気になったら、悲しいことばかりって思うでしょ?あたしも、そう思ってた。でもね、不思議と気づくの。

今まで気にもしなかった風のにおいとか、パパの腕のあたたかさとか、ごはんのひとくちひとくちが、すごく大切なものだったんだって。

この記事では、そんな「あたしが見つけた小さな幸せのかけら」を少しずつお話ししていこうと思うの。同じように病気と暮らしてるワンちゃんや、その家族のみんなに、あたしの言葉がそっと届きますように。

それじゃ、ゆっくり読んでね。ここから、あたしの物語が始まるよ。

心臓病って診断された日。あたしの世界が変わった瞬間

あれはね、まだ季節が秋に変わりはじめたころだったの。朝晩がちょっと肌寒くなってきて、お散歩中に桜の香りがふわっと鼻先に届くあの時期。毎年その香りをかぐと、「あ、春がきたなぁ」って思うんだけど、その年は、なんだか違ってた。

あたしね、朝ごはんのあと、ちょっとしんどくなってご飯が食べられなくなっていたの。なんだかのどに何か詰まったみたいな感じ。

でも、お水を飲めば止まるし、すぐ元気になるから、あんまり気にしてなかったんだ。

でもね、パパが気づいたの。「最近、ご飯食べていないよね?」って。ママも「そういえば夜も残していたかも…」って心配そうな顔。

それで、念のためってことで、病院に連れていかれたの。いつもの動物病院。

あたし、病院って苦手なの。だって、注射もあるし、あの台の上ってツルツルしてて落ち着かないし、先生の白衣のにおいもなんか緊張するのよね。

でも、その日はいつもと違った。診察室に入って、先生が聴診器を当てたとき、少し長く聞いてたの。で、先生がパパとママの方を向いて、こう言ったの。

「リアちゃん、心雑音が出てますね…。おそらく、僧帽弁閉鎖不全症だと思います」って。

え…?って感じだったのは、あたしよりも、たぶんパパとママだった。「僧帽弁…なんですか?」って、パパが聞いた声が震えてたの、あたし知ってる。ママも顔色がすっと青くなってて、手で口を押えてた。

そのあと、心臓のエコー検査をしてもらって、はっきりわかったんだって。「弁がうまく閉じなくなっていて、血液が逆流しています。進行性の病気ですが、早めにお薬を始めればコントロールできる可能性は高いです」と先生は言ってた。

でも、正直言って…そのときのあたしは、何のことかよくわかってなかった。ただ、パパの手があたしの背中をぎゅっと撫でてくれてて、すごく優しい声で「大丈夫だよ、リア。パパがついてるからな」って何度も言ってくれたのだけは、ちゃんと覚えてる。

家に帰ったあと、あたし、パパの膝の上からずっと降りなかった。なんか不安だったの。いつもならゴロゴロ寝ちゃうソファにも行かず、ママが出してくれたおやつもあまり食べられなかった。

「心臓病」って、なんだか重たい響きでしょ?それに、「これからの暮らしが変わっていくかもしれない」って、あたしの小さな心でも感じちゃったんだと思う。

夜、寝るとき。パパがあたしを布団の中に入れてくれたの。あたし、パパの胸の上にあごをのせて、心臓の音を聞いてた。ドクン、ドクンって、パパの音が聞こえるの。でも、自分の心臓の音は…なんだか速くて、苦しそうだった。

「リア、大丈夫。まだ何も終わってないよ。これからも一緒に過ごすんだ。小さなことでも、一緒に楽しんでいこうな」

そう言ってくれたパパの声が、震えてた。でも、それ以上にあったかかった。あたしね、「あ、あたし、泣いていいのかな」って初めて思ったんだ。ワンコだって、心がギュッてなる夜、あるんだよ。

それからあたしの世界は少しずつ変わっていった。朝の咳は気をつけて見てもらうようになったし、ごはんに薬が混ざるようになった。

お散歩も、前みたいにグイグイ歩くんじゃなくて、のんびりペースに。でもね、それはできなくなったことじゃなくて、違う楽しみ方が見つかったって思いたいの。

この病気を知ったことで、あたしも家族も、今この瞬間の大切さに気づいたんだと思う。心臓がちょっと弱くなった分、心の絆がギュッと強くなった。そんな感じ。

だから、あたしの世界は変わったけど、悪いことばかりじゃなかったよ。これから、そんな変わっていく日々の中で見つけた小さな幸せを、もっと話していきたいの。

お薬と、パパの腕と、あたしの朝の日課

病気がわかってから、あたしの毎日はちょっとだけ変わった。でもね、全部がイヤな変化だったわけじゃないの。むしろ、「あ、これって幸せかも」って思えることもたくさん増えたんだ。

たとえば、お薬。

お薬って聞くと「にがい」「イヤなにおい」「ゴックンしたくない」ってイメージがあるでしょ?あたしも最初はそうだったよ。最初に処方されたのは、心臓の働きを助けるお薬と、利尿剤。小さな白い錠剤と、粉のやつ。

ママがごはんに混ぜてくれたんだけど、あたし…バレバレだったの。

「ん?このにおい…おかしい!」ってすぐわかっちゃうもん。でも、ママはあきらめなかった。次の日にはジャーキーで包んでくれたの。しかもね、あたしの大好物のビーフジャーキー。そしたらつい、パクリッてしちゃった。

その日から、「お薬タイム=ごほうびタイム」に変わったの。

あたし、うれしくてしっぽフリフリしちゃって、「お薬ちょうだい!」ってパパの足元でおすわりするくらいになっちゃった。へへ、単純でしょ?でも、それが毎朝の楽しみになっていったんだよ。

朝はね、だいたい7時くらいにパパが起きてくる。あたし、それを待ってるの。寝室のドアの音がカチャッてすると、ソファの上で丸くなってたのがムクッと起きて、トコトコって玄関まで出迎えるの。

パパ、眠そうな顔で「おはよう、リア」って言いながら、頭をポンポンしてくれる。あの瞬間、あたしの一日が始まるの。

それからね、パパはまずコーヒーを淹れるの。あたしはキッチンの入り口で座って、じーっと見てるの。いいにおいがしてきたら、次は…そう、お薬タイム!

パパが用意してくれるの。小さなガラスの器に、あたし用の朝ごはんを少し入れて、その中にチーズとお薬を仕込んでる。

あたし、もう待ちきれなくて、足元でウズウズしてるの。パパが「ヨシ!」って言うと、一気にパクッ。あー、今日もおいしかった♪

お薬を飲み終わったら、パパのひざの上が特等席。

ソファに座ったパパの上に乗っかって、丸くなって…そこで二度寝するのがあたしの日課。パパの胸の鼓動、コーヒーの香り、朝の静かな空気。全部が混ざって、なんだか心がふわっと軽くなるの。

前はね、もっと長くお散歩行ったり、朝からおもちゃで遊んだりしてたけど、今は違う過ごし方。でも、パパと一緒にゆっくり朝を迎えるこの時間が、なによりもあたしの幸せになったの。

あたし、よく考えるの。病気になったからって、たしかにできないこともあるよ。でも、病気になったからこそ見つけられた楽しみもあるんだって。

たとえば、パパが出勤前にぎゅーってしてくれる時間もそう。前は「行ってきまーす」って感じだったのが、今では「リア、しんどくない?お薬効いてる?今日はゆっくりしてな」って、毎日ちゃんと目を見て言ってくれるの。

その目、すごく優しいの。前から優しかったけど、今はもっと、深い優しさっていうのかな。心の奥から伝わってくる感じ。

そして、ママがくれる朝のひとことも。「リア、今朝もちゃんと食べたね、えらいね〜」って。

たったそれだけなのに、うれしくてしっぽが自然にフリフリ動いちゃう。人間って、気持ちを言葉にしてくれるから、ワンコとしてはすごく安心するの。心があったかくなるんだ。

そうそう、たまにお薬を飲みたくない日もあるんだよ。おなかの調子がいまいちだったり、なんかムッとする朝だったり。

でも、そんなときもパパとママは無理に飲ませたりしないの。「今日は様子見ようか」「あとで、食欲出たらでいいよ」って、あたしのペースに寄り添ってくれるの。

それが、あたしには何よりうれしい。大事にされてるって、言葉じゃなくてもちゃんと伝わってくる。お薬を飲むことも、パパの腕で過ごす朝も、全部が愛されてる時間なんだよね。

朝の時間って、あたしにとっては一日のエネルギーをもらう魔法みたいなもの。心臓がちょっと弱くなってても、パパの腕の中にいれば安心できるし、今日もがんばろうって思えるの。

こうして少しずつ、あたしの日課には「幸せのかけら」が増えていった。それは、特別なことじゃなくてもよくてね、

「お薬を嫌がらずに飲めた」
「パパの手のぬくもりを感じられた」
「おいしいチーズをもらえた」

そんな小さなことが、あたしの心をふわっとあったかくしてくれるんだ。

お散歩は短くなったけど、風のにおいはまだ気持ちいい

お散歩って、私たちにとって特別な時間なんだよ。あたしにとっても、小さい頃からずーっと大好きな時間だった。

リードを見ただけでしっぽブンブン、玄関のドアが開く前からクルクル回って、もう早く行きたくてたまらない!って感じだったの。

でもね、病気がわかってから、あたしのお散歩もちょっとだけ変わったんだ。

それまでのお散歩は、1回30分以上、パパと一緒に公園の中をぐるっと歩いたり、草のにおいをかぎまくったり、他のお友達に「こんにちは」って挨拶したりしてた。

特に秋の季節は、落ち葉がカサカサって鳴るあの音が好きで、わざとその上を歩いてみたり、落ち葉の山に鼻を突っ込んだりして、とにかく楽しかったの。

でも、ある日のお散歩の途中。急にドクンって胸が苦しくなって、立ち止まっちゃったことがあったの。パパが振り返って「リア?大丈夫か?」って駆け寄ってくれて、すぐ抱っこしてくれたけど、あたし、ちょっと怖かったんだ。

あの時から、パパはお散歩の距離と時間を見直してくれたの。朝は10分だけ、近所をゆっくり歩いて、夕方はその日の体調を見ながら。途中で抱っこされたり、カートに乗ったりもするけど、それでも外に出られるだけであたしはうれしいんだ。

空の色、風のにおい、アスファルトの温度、草の感触。全部が、外に出なきゃ感じられないものでしょ?

朝の風ってね、季節によって全然違うの。春は、花の香りが混ざってて、ちょっと甘い。夏は、まだ太陽が顔を出す前の、少し湿った空気。でも、その中にもセミの鳴き声がまざってて、あぁ、夏だなぁって思うの。

秋は金木犀と土のにおい。パリパリの落ち葉が足に触れる感触。冬は空気がピンとしてて、草の上に霜が降りてるときもあるけど、その冷たさもまた気持ちよかったりするの。

そんな風の中を、パパと歩く。リードはついてるけど、心は自由。においをかぎながら、鳥の声を聞きながら、あたしは「あ、今日も生きてる」って感じるんだ。

前は「もっと歩きたい」「もっと走りたい」って思ってたけど、今は「この瞬間をゆっくり味わいたい」って思うようになったの。

だって、ほんの5分でも、外に出られるって奇跡みたいなことなんだよ。病気が進んだら、それすら難しくなるかもしれない。それなら今は、少しでも外の空気を感じられるこの時間を、大切にしたいって思うの。

パパも、最近はお散歩のとき、スマホを見たりしなくなったの。あたしの歩き方をちゃんと見てくれて、においをかいでるときは待ってくれて、「リア、ゆっくりでいいよ」って声をかけてくれるの。

たまに、近所の子どもたちが「わー!かわいいワンちゃんだ!」って寄ってきてくれることもある。昔は元気にしっぽ振って挨拶できたけど、今はあまりはしゃげない。

だけど、そっとなでてくれる手のぬくもりに、「ありがとう」って気持ちはしっかり伝わってるはず。

お散歩の帰り道、パパがよく言うの。「リア、今日も気持ちよかったな。いい風だったね」って。あたしもね、心の中で「うん、今日も風がやさしかった」って答えてるんだ。

歩く距離が短くなったって、前みたいに公園の奥まで行けなくなったって、あたしにとってのお散歩の意味は変わらないよ。外の世界とつながってる、大切な時間だし、生きてるってことを、身体中で感じられる瞬間。

それに、短くなった分、ひとつひとつの匂いや景色にちゃんと意識が向くようになった。

前は見逃してた、小さな花。誰かが落としたシャボン玉のかけら。どこかのおうちから聞こえてくるピアノの音。そういう「ちっちゃいけど、なんだか心が動くものたち」に、ちゃんと気づけるようになったんだ。

風のにおいは、まだちゃんとあたしの鼻に届くしね。それだけで、今日もお散歩に行けてよかったって思う。

短くなったお散歩だけど、あたしにとっては深くなったお散歩だよ。パパと一緒に感じるこの空気、この景色、この時間。全部が、あたしの小さな幸せのかけらなんだよ。

家族の優しさが、あたしの心をポカポカにする

あたしが病気になってから、一番強く感じてることはね、あたしって、本当に家族に愛されてるんだなってこと。

もちろん、病気になる前からずっと優しくしてもらってたよ。パパの抱っこ、お兄ちゃんのなでなで、お姉ちゃんのキス、ママの手づくりごはん。

どれもあたしの大好きな時間だった。でもね、病気って、ちょっとずつ何かを奪っていく代わりに、家族の優しさをもっと深く感じさせてくれるものでもあるんだ。

たとえば、ママ。

ママはね、毎朝と夕方、お薬とごはんをきっちり準備してくれるの。あたしがちょっとでも残すと、「味変してみようか?」って、ヨーグルトやささみを少し混ぜてくれるんだよ。

まるでシェフみたい。あたしの体調に合わせて食事の内容を調整してくれて、利尿剤でおしっこが増えた日には、お水もちゃんとたっぷり用意してくれるの。

でも、ママの優しさはそれだけじゃないんだ。

ときどき、何も言わずにそっと隣に座って、あたしの背中をなでてくれる。「リア、今日もよくがんばってるね」って言葉はなくても、ママの手のぬくもりがそう語ってる気がして。

あの手は、あたしが子犬の頃からずっと知ってる手。包まれるたびに、心がスーッと落ち着くんだよ。

それからね、お兄ちゃん。

お兄ちゃんは、あたしが具合悪くてグッタリしてるとき、そばでゲームをしながら足をそっと貸してくれるの。あたし、よくその足の上にアゴのせてるの。なんか落ち着くんだよね。

お兄ちゃん、言葉ではあんまり甘やかさないけど、学校から帰ると「ただいま、リア」ってちゃんと目を見てくれるの。そういうの、すごくうれしい。

そしてお姉ちゃんは、感情を素直に伝えてくれるタイプ。

「リアが病気になったの、ほんとに悲しかった…」って、ある日ぽろっと泣いちゃったことがあったの。あたし、それ見て思わずペロッてお姉ちゃんの涙をなめちゃったの。そしたら、お姉ちゃん、泣きながら笑って「リア、優しいね」って。

それからは、あたしの前ではなるべく笑ってくれるようになったの。ツンツンした声じゃなくて、やわらかい声で「リア~♡ 今日もかわいい~♡」って言ってくれるんだよ。あれ、実は結構好きだったりするの。

でも、やっぱりいちばん一緒にいるのは、パパ。

パパは、あたしのちょっとした変化にもすぐ気づいてくれる。
「リア、今日は歩き方がゆっくりだな」
「水の飲み方が少ないかも」
「おしっこの色、昨日より薄い気がする」

そんな細かいことまで、ぜんぶ覚えてくれてて、あたしの代わりにお医者さんに相談してくれるの。

そして何より、パパの優しさは当たり前の時間にしみこんでるの。夜、テレビを見ながらソファに座るとき、パパはあたしの場所をちゃんと空けてくれてる。

朝、出かけるときに「リア、お留守番頼んだな」って言って、頭をコツンってしてくれる。帰ってきたときの「ただいま!リアー!」って声、毎回うれしそうで、こっちまで元気になるんだよ。

一度ね、パパが「リアがいなくなったら…って考えると、ほんと怖くなるんだよ」ってママに言ってたのを聞いたことがあるの。

あたし、そのとき思ったの。「パパのためにも、まだまだがんばらなきゃ」って。

病気になったことで、できないことも増えたし、不安な夜もある。でも、それ以上に、あたしには見えるようになったものがあるんだよ。

それは、家族のひとつひとつの優しさ。何気ない日常の中に散りばめられた、愛のかけらたち。

誰かがあたしのためにしてくれてること、それにちゃんと気づけるようになった。それをちゃんと「うれしい」って感じられるようになった。それって、すごく大切なことだよね。

だからあたし、今は毎日がポカポカしてる。寒い日でも、雨の日でも、胸の中はあったかい。だって、あたしの周りには、こんなにもたくさんの愛があるから。

今日がいい日だったって、ちゃんと思える夜がある

夜になると、あたしは一日を思い返すの。わたしだってね、そういう時間、あるんだよ。

静かで、少しだけ切なくて、でもあったかい、そんな夜の空気の中で、あたしはそっと目を閉じながら考えるの。

「今日もがんばったね」
「ちょっとしんどい時間もあったけど、ちゃんと乗り越えたよね」
「パパにいっぱいなでてもらえて、うれしかったな」
そうやって、自分にそっと語りかけるの。

昔はね、夜になると元気が有り余って、おもちゃをブンブン振り回したり、お姉ちゃんのベッドに忍び込んだりしてたの。

でも今は、夜になると身体が「もうおやすみの時間だよ」って言ってくるの。心臓がちょっと弱ってるから、体力もすぐに使い切っちゃうんだよね。

そんなあたしの新しい夜の習慣。それは、パパと一緒に過ごす静かな時間。

夜の10時くらいになると、パパが「リア、そろそろ寝ようか」って声をかけてくれる。あたしはその言葉を聞くと、自然とパパの後をついていくの。ベッドルームまでの小さな距離も、あたしにとっては大事な儀式みたいなもの。

ベッドに入る前に、パパはお水を確認して、おしっこがちゃんと出たか、あたしの呼吸が乱れていないか、ぜんぶ見てくれる。それから「今日もがんばったな、リア」とか「えらかったな、リア」とか、まるでおまじないみたいな言葉を言ってくれるの。

あたし、そんなとき思うの。「うん、今日もいい日だったよ」って。

あたしね、特別なことが起きた日じゃなくても、「いい日だった」って感じられるようになったの。

朝、ごはんをちゃんと食べられた。
お薬をちゃんと飲めた。
パパのひざの上でうとうとできた。
風のにおいをかげた。
ママが笑ってくれた。
お兄ちゃんがただいまって言ってくれた。
お姉ちゃんが「リアの耳ふわふわ〜」って抱きしめてくれた。

それだけで、もう充分すぎるくらいの「いい日」。

昔は特別なことがうれしかったの。新しいおもちゃを買ってもらった日とか、おでかけした日とか、ケーキをもらえた日とかね。でも、病気になってから気づいたの。いつもの毎日こそが、ほんとは一番のプレゼントなんだって。

夜、パパの横で眠りにつく前、あたしは静かに思う。「明日も、今日みたいな日だといいな」って。特別じゃなくていい。痛くなくて、苦しくなくて、家族がそばにいて、やさしい時間が流れてくれるだけでいい。

そんなふうに思えるようになったあたしは、きっと「ちょっとだけ大人になった」んだと思うの。ううん、もう「おばあちゃん犬」なんだけど、心の中では今もまだ、家族の中の小さな子どもみたいな気持ちもあるんだよ。

ときどき、不安になる夜もあるよ。「もしこのまま目が覚めなかったら」って、そんなことをふっと考える日もある。

でもね、パパがそばにいてくれると、そういう不安もすぅっと消えていくの。パパの寝息のリズム、布団のぬくもり、部屋に漂う安心感。あたしの心を、ポカポカに包んでくれるの。

「リア、おやすみ。大好きだよ」その言葉が聞こえた瞬間、あたしの心臓はふっと軽くなる。明日が来ることを祈りながら、今日を「よかった」と思える。それって、すごくすごく幸せなことなんだよ。

だからね、あたしは今日も言うよ。「うん、今日もいい日だったよ。ありがとう」

病気になったあたしから、同じ境遇のお友達へ

ねぇ、今これを読んでくれてる、病気と闘ってるお友達、そして、そんなお友達のそばにいる家族のみなさん。

あたし、リア。14歳のキャバリアで、心臓の病気と一緒に暮らしてる。「僧帽弁閉鎖不全症」って名前、最初はちょっと怖かったけど、今はその病名さえも、あたしの一部になってる。だって、それがあるからこそ、見つけられたものがたくさんあったから。

あたしもね、最初はすごく不安だったよ。「もう走れないのかな?」「大好きなお散歩も、できなくなるのかな?」「明日も生きていられるのかな?」って。

でも、そうやって心配してる時間の中に、ふわっと差し込んできたものがあるの。
それは、「小さな幸せのかけら」。

朝のごはんがちゃんと食べられた。
お薬を飲んだあとにパパがくれるチーズが、おいしかった。
ママの手のぬくもりが、心まであたたかくしてくれた。
お兄ちゃんの足の上が、いつも通り落ち着く場所だった。
お姉ちゃんの声が、今日も優しくて、心がホッとした。

そういう、ほんの少しの「うれしい」「気持ちいい」「ほっとした」が、あたしの一日をつくってる。

だから、あたしから伝えたいの。「病気=悲しい」だけじゃないんだよって。「できないこと」ばかりに目を向けないで、「できていること」「変わらずに続いていること」に気づいてほしいなって。

それって、本当にたくさんあるんだよ。たとえ歩く距離が短くなっても、お外の風は今日もやさしい。たとえ食欲が落ちても、好きなにおいはちゃんと覚えてる。たとえ体力がなくなっても、大好きな人の声を聞くだけで、心は元気になれる。

それにね、家族のみんなのこと、わたしたちはちゃんとわかってるよ。あなたが泣いた夜のことも、こっそり頑張ってくれてることも、不安な顔してるのを隠して笑ってるのも。全部、ちゃーんと伝わってるの。

だから、大丈夫。わたしたちって、すごく強くて、やさしくて、あったかい存在なんだ。あたしは病気になって、ちょっぴり弱くなったかもしれないけど、心は前よりもっと強くなったと思ってる。

だって、家族の愛に包まれてるから。その愛が、毎日のエネルギーになるから。

これを読んでくれてる、今つらい思いをしてるおともだちへ。そして、そばで支えてくれてるあなたへ。どうか、今日の中にひとつでも「小さな幸せのかけら」が見つかりますように。

あたしはそれを、心から願ってる。そして明日も、あたしはあたしなりに、ゆっくりでも前を向いて歩いていくよ。だって、今日という一日が、また「いい日」になるかもしれないから。

リアより

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