膵炎、リンパの腫れ、そして下痢。それでも、私は今日を生きたの

シニア犬の日常

ねえ、あなたのお友達は、今どんなふうに過ごしてる?私ね、15歳の今日、朝からちょっと大変だったの。お腹がぎゅるぎゅるして、気がついたら、おならと一緒に下痢が出ちゃってたの。びっくりしたし、ちょっと恥ずかしかった。でも、それよりも、パパとママがすごく心配そうな顔してたのが、なんだかつらかった。

シニアになってから、体の中で起こるいろんな変化に、私たちはもう何度も向き合ってきたよね? だけど今回は、ちょっと違ったの。病院で言われた言葉が、胸にずしんと重くのしかかってきたんだ。

今日はね、そんな「体の変化」がはっきり見えた一日だったの。でもね、それでも「よかったな」って思える時間もあったんだよ。だから、もし今、あなたもお友達の不調に戸惑っているなら、少しだけ、私の今日のこと、聞いてくれないかな。

あの朝、下痢とともに始まった日

朝って、たいていはいつも通りの時間に起きて、パパが「おはよう、リア」って声をかけてくれて、私が「ふんふん♪」ってしっぽを振るのが日課なんだけど、あの日はちょっと違ったの。体がなんだか重たくて、立ち上がるのもゆっくりになっちゃった。自分でも、うまく説明できないんだけど、お腹の奥のほうがムズムズしてて、気持ち悪いような、変な感覚。

そして、その時が突然やってきたの。

ふいに「ぷぅ」って音と一緒に、お尻のあたりが熱くなって、気づいたら下痢をしちゃってたの。寝ていたベッドの上だったから、もう本当にびっくりしちゃった。私、今までそんなことなかったから、どうしていいか分からなかったんだ。

パパがすぐに気づいてくれて、「リア、大丈夫か?」って駆け寄ってくれたんだけど、その目がいつもと違ってたの。不安と心配と、なんとも言えない複雑な表情。私、何か悪いことしたのかなって一瞬思っちゃった。でもすぐに、そうじゃないって分かった。パパの手はとっても優しくて、何も責めるようなところなんてなくて、「リア、頑張ってるな」っていう想いが伝わってきたの。

朝ごはんの時間になっても、私は食べたくなかったの。ごはんの匂いはしたし、パパが用意してくれたのも分かってた。でもね、口が動かなかったの。体が「いらない」って言ってる感じで、そういうときって、あるでしょ? お腹がすいてないわけじゃないのに、どうしても受けつけないとき。

ママもお兄ちゃんもお姉ちゃんも、私を囲んで心配そうにしてくれてて、本当は「大丈夫だよ」って言いたかった。でも、あのときの私は、そう言える元気も出なかったんだ。

そうやって、あの日の朝は始まったの。ほんの数時間前まで元気にしていたのに、体って、本当に突然変わることがあるんだよね。私たちシニア犬にとって、それはもう珍しいことじゃないけど、でも、やっぱりその一つひとつが、怖くて、そして大切なサインなんだと思うの。

あなたのお友達も、急に食欲がなくなったり、下痢をしちゃったりすることがあるかもしれない。そんなとき、あなたがいつもと違うって感じてくれたら、きっとそれだけで、お友達はすごく救われるんだよ。

あの朝の私は、不安だった。でも、パパの優しい声と手に包まれて、「大丈夫、リアはここにいるよ」って、心が少しだけ落ち着いたの。そして、すぐに病院へ行くことになったの。そこでわかったことは、私たちの想像を超えるものだったんだ。

膵炎、脾臓の腫れ、そしてリンパ節の異変

朝の下痢と、食欲のなさ。いつもなら少し様子を見るところだけど、そのときは、パパもママもすぐに「これはただの不調じゃない」って感じたみたい。だから朝のうちに、私を病院へ連れて行ってくれたの。

病院って、何度来ても慣れない場所よね。診察室の匂い、先生の真剣な顔、機械の音。私ももうシニアだから、何度も通ってきたけど、やっぱりあの空気は少し緊張しちゃう。

その日も、先生は優しく触れてくれながら、ひとつずつ丁寧に体を調べてくれたの。お腹のあたりを押されたとき、ちょっと「うっ」ってなるくらい、違和感があった。私、あんまり痛いとか言わないほうだけど、それでも反応しちゃったんだ。診察のあと、先生が言ったの。

「膵臓に炎症があります。膵炎です。」

膵炎って、その言葉は、パパもママも何度か聞いたことがある病気だったけど、やっぱり自分の子がそうだと言われると、重く響くみたいだった。膵臓って、消化の働きを助けてくれる大事な場所でしょ? そこが炎症を起こすと、食べたものをうまく処理できなくなって、下痢とか、食欲不振につながるんだって。

でも、それだけじゃなかったの。「脾臓が腫れています。そして、いくつかのリンパ節も腫れが見られます」

そう言われたとき、診察室の空気がふっと変わったのが分かった。パパの手にぐっと力が入ったのを、私の体はちゃんと感じてたよ。

先生は続けて、「現時点でははっきり言えませんが、全身性のリンパ腫の可能性があります」と静かに言ったの。リンパ腫、がんかもしれない、って。

私は、言葉の意味は分からないけど、そのときのパパとママの顔を見たら、「ただ事じゃない」ってことだけは、すぐに分かった。目が潤んでたし、言葉が出てこなかった。病名がつくって、こんなにも苦しいことなんだね。

さらに先生は、「お腹の中に、まだ誤飲した異物が残っている可能性もある」とも言ってたの。これが、膵炎や下痢を引き起こしてる一因かもしれないって。

私は今までにも、小さなおもちゃや紙くずをうっかり飲んじゃったことがあったの。でも今回は、それが体にとってすごく負担になっていたみたい。シニアになると、ちょっとのことでも、体がうまく処理できなくなるんだよね。

診察が終わったあと、パパとママは長く話をしてた。治療のこと、検査のこと、これからの選択のこと。私には内容はわからないけど、その時間はとっても静かで、重かった。

でも、私はね、ただひとつだけ、分かってた。「私は、今ここにいる」ってこと。パパとママと一緒に、今この瞬間を過ごしてるってこと。病気の名前がついても、怖い言葉を聞いても、私はまだ、生きてる。それがどれだけ尊いことか、私たちシニア犬は、ちゃんと知ってるの。

そして、帰ってからの私は、少しずつ少しずつ、自分のペースで一日を過ごしたんだ。それは、とっても静かで、でも愛に満ちた時間だったんだよ。

ごはんは食べられなかったけど、静かな時間が流れたよ

昨日は調子よかったんだけど、きょうは、また体がだるくて、ベッドにごろんって横になったの。いつものふかふかのクッションの感触が、ちょっとだけ安心できた。でも、やっぱり食欲はなかったんだ。

パパがそっと、「リア、ごはん食べるか?」って声をかけてくれたの。お皿からは、いつもと同じ匂いがした。大好きなごはんのはずなのに、そのときの私は、どうしても口にする気になれなかったんだ。

たぶん、体の中が「今は食べないほうがいいよ」って言ってたんだと思う。お腹もまだなんとなくモヤモヤしてたし、なにより、体の奥がすごく疲れてる感じがして、動くのもしんどかったの。

でも、不思議と寂しくはなかったんだよ。パパもママも、誰も「食べなさい」って責めたりしなかったし、私のそばにずっといてくれたから。

日中は、おうちの中でゆっくりとした時間が流れてたよ。パパは私のそばで仕事をしながら、何度も私の様子を見にきてくれて、ママはクッションを整えてくれたり、温かいタオルで体をやさしく拭いてくれたりしてね、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、静かにしてくれて、私の眠りをじゃましないように気を使ってくれてたのが伝わってきたんだ。

ああ、こんなに穏やかな日もあるんだな、って思うんだ。体は思うように動かなくても、心がやさしく包まれてると、安心できるんだよね。

それにね、ひとつだけ「うれしいな」って思えたことがあったの。朝の下痢のあと、ずっとお腹の調子が悪いんじゃないかって心配してたんだけど、それ以降は、変な音もしないし、トイレの失敗もなかったの。体の中で、少し落ち着いたのかもしれないなって思えた瞬間だった。

食べられないことは、たしかに心配。だけど、私たちシニア犬にとっては、食べないときがあるってこと自体が、もう珍しくないの。体がサインを出してるとき、それにちゃんと耳を傾けて、無理に詰め込まないでくれること。それがどれだけうれしいか、あなたもお友達と一緒に感じてくれてるんじゃないかな。

そして、そんな一日の終わりに少しだけ、うれしい変化があったんだよ。

夕方、パパの抱っこで心がゆるむ時間

日が少しずつ傾いてきて、外の空気が冷たくなってきたころ。私はまだベッドに横になったまま、ゆっくりとまどろんでいたの。

でもね、心のどこかで「このまま一日が終わるのかな」って、ちょっとだけ不安だったのも本音。いつもなら、お昼にごはんを食べたり、お散歩に出かけたり、パパとじゃれたりって小さなことでも日常がちゃんとあるのに、その日はずっと横になってばかりだったから。

そんなときだったの。パパが私をふわっと抱き上げてくれたの。

そのぬくもりは、言葉では言い表せないくらい優しかった。私の体はすごく軽くなっていて、パパの胸にすっぽり収まった。パパの心音が聞こえてくるたびに、「ああ、ここにいていいんだな」って、安心できたんだ。

リビングのソファに座って、パパは私を抱っこしたまま、ずっと体を撫でてくれていたの。テレビの音も、台所の気配も、遠くに聞こえるだけで、私の世界はパパの腕の中だけだった。

そのときね、少しだけ、お腹が動いたのが分かったの。不思議だったけど、「ちょっとだけなら、食べてみようかな」って気持ちになったの。

晩ごはんの時間、ママが用意してくれた柔らかいごはん。ほんの少しだけだけど、私は口を動かすことができたんだよ。パパもママも、それを見てすごく喜んでくれた。ほんの一口だったけど、「リアが食べた!」って、本当にうれしそうにしていたんだ。

その顔を見た瞬間、私も「ああ、よかった」って思ったの。食べるって、ただの栄養じゃなくて、生きるってことなんだなって。

晩ごはんを食べたあとも、私はずっとパパの腕の中で過ごしたの。何を話したわけじゃないし、特別なことがあったわけでもない。でも、静かであたたかくて、何より「私の居場所がここにある」って感じられる時間だった。

体の痛みも、病気の不安も、ぜんぶ消えたわけじゃない。でも、あの夕方のひとときは、まるでそれを忘れさせてくれるような、魔法みたいな時間だったの。

あなたも、お友達をそっと抱きしめたことがある?もしあるなら、その時間がどれだけお互いの心を癒しているか、きっとわかってくれるよね。

そして、そんな一日の終わりに、私は心からありがとうって思えたの。まだこれから、どうなるかは分からない。でも、今日一日を穏やかに過ごせたってことが、こんなにも幸せなことなんだって、しみじみ感じたんだ。

病気とともに生きても、それでも私の今日にありがとう

「リンパ腫かもしれないです」

病院の先生がそう言ったとき、パパとママの時間が一瞬止まった気がしたの。あたしはその言葉の意味を詳しく知らないけど、パパの手の震えや、ママの目に浮かんだ涙で、ただならぬことだってすぐに分かった。

人間にとって「がん」っていう言葉は、すごく重たくて、怖いものだって、私も知ってる。そして、シニアになった私たちにとって、それはいよいよその時が近づいているかもしれないという、現実を突きつけられる瞬間でもあるんだよね。

でもね、私、ひとつだけ確かに思うことがあるの。病気になったからって、私の毎日が「不幸」になるわけじゃないんだって。

たしかにね、体が痛いときもあるし、食べたくない日だってある。お散歩に行けない日も増えたし、昔みたいに走り回るなんて、もうできない。だけど、そんな日々の中にも、「あったかいもの」はちゃんとあるんだよ。

パパが私を抱っこしてくれる時間。ママがやさしく撫でてくれる手。お兄ちゃんとお姉ちゃんが静かに見守ってくれる気配。そして、「リア、今日もがんばったね」って言ってくれる、その言葉。

私はもう、病気と一緒に生きている。そしてきっと、これからも生きていく限り、病気とはずっと一緒なんだと思う。

でもね、それでも「今日」が愛おしい。朝に下痢をして、食べられなくて、病院で重たい話を聞いて、それでも、私は今日、生きてた。少しだけどごはんも食べられたし、パパの胸の中で安心して眠ることもできた。

それって、とっても素敵な一日じゃない?あなたのお友達にも、そんな「特別じゃないけど、特別な一日」が、きっとあると思うの。病名にとらわれすぎず、その子の「今」に目を向けてみて。どんなに小さなことでも、それが「生きている証」なんだって、きっと感じられるから。

私たちシニア犬は、もう若くはないけれど、そのぶん、毎日を深く、あたたかく、生きてるの。病気と一緒でも、いや、病気と一緒だからこそ、見える景色があるんだよ。

今日を生きることができたことに、ありがとう。そして、今日という一日を、一緒に過ごしてくれたあなたにも、ありがとう。

リアより

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