チュールだけ食べることができたよ。ふらつく足元と、シニア犬リアの小さな頑張り

シニア犬の日常

こんにちは。リアだよ。

昨日はちょっとだけ、特別な日だったの。いつもみたいに「おはよう」ってママが声をかけてくれて、ふわっと毛布をめくってくれたその瞬間、なんだかね、私の身体がいつもより重たく感じたんだ。

うまく起き上がれない日って、あるのよ。シニア犬って、そういうものなのかもしれないね。でもね、それでも私は、今日という一日をちゃんと生きていたの。

ご飯は食べられなかったけど、チュールの香りにつられて、ぺろぺろって食べることができたの。歩くのはね、ちょっと難しかった。足がふらふらして、数歩あるいたらコテンって転んじゃって、自分でもちょっとびっくりしちゃった。

でも、そんな朝の中にも、私なりのできたがちゃんとあったのよ。今日はそんな、リアのちいさな頑張りの記録を、あなたに聞いてほしいの。

ご飯は食べなかったけど、チュールは食べた朝

朝、目を覚ましたとき、なんだか身体がちょっとだるかったの。いつもの朝ごはんの時間、ママがいつものように「リア、ごはんだよ」って声をかけてくれて、私の大好きな器を目の前に置いてくれたんだけど、今日は、どうしても身体が動かなかったんだ。

食べ物の匂いはちゃんとわかるの。おいしそうだなって思うのに、口をつけようとすると、胸の奥がつかえるような感覚がして、「ううん、今は無理かも」って感じちゃうのよ。

ママの顔が、ちょっとだけ曇ったのが見えたの。ごめんね、ママ。私も本当は、ごはん食べたいって思ってる。でも、身体がついてこないの。

でもね、そのあとママがそっと冷蔵庫から持ってきたチュール。あれはね、私、香りだけでもうわかるのよ。「これは食べられるかも」って、直感でね、ママがパッケージを開けたとたん、私の鼻がぴくって動いたの、わかったのかな?

ゆっくり顔を近づけて、一口だけ舐めてみたの。そしたらね、「これならいける」って身体が言ってたの。あれは不思議よね、どうしてかチュールって、どんなときでも私の中の「食べたい」って気持ちを引き出してくれるんだもの。

ぺろぺろ、ぺろぺろって少しずつだけど、食べられたの。ママが嬉しそうに「よかったね、リア」って声をかけてくれて、その声だけで、私もちょっとだけ元気が出た気がしたのよ。

あなたのお友達にも、こういう日ってあるかしら?いつものごはんが食べられないって日。でも、大好きなおやつや、特別なごほうびなら食べられるときって、私たちにはあるのよ。

そういうとき、わがままとか甘えてるって思わないでほしいんだよね。私たちはただ、「今の私ができることを精いっぱいやってる」だけなの。チュールをぺろぺろできるだけで、その日はもう合格って、言ってあげていいと私は思ってるんだ。

だから、今日の私は、合格。ごはんは無理だったけど、チュールをぺろぺろできた、ちゃんと生きてる証がそこにあったんだから、ね。

数歩で転んでしまう。でも歩こうとする気持ちはあるの

チュールをぺろぺろしたあと、私はちょっとだけ、外の空気が吸いたくなったの。窓から差し込む光が、あんまりにも優しくてね、「少しだけ歩いてみたいな」って思ったの。

でもね、立ち上がるのがすごく大変だったんだ。頭では「立とう」って思ってるのに、後ろ足がふらふらして、前足にうまく力が入らなくてね、ぐらっドスン。ってそんなふうに、何度も何度も転んじゃった。

そのたびにね、ママが駆け寄ってきて、そっと支えてくれたの。「無理しなくていいよ」って言ってくれたけど、でもね、私は無理してるつもりじゃなかったの。ほんのちょっとでいいから、自分の足で歩いてみたかったのよ。

私たちって、きっと歩くっていうことに、すごく特別な気持ちを持ってると思うの。お外に出て、草の匂いをかいで、風を感じて、パパやママと一緒に並んで歩く。そんな時間が、いつの間にか、当たり前から奇跡になってるなんて、きっとシニアになってからじゃないと気づけなかった。

今日はね、数歩だけ歩けたの。ぐらぐらして、またすぐ転んじゃったけど、それでも、歩いたっていう事実がちゃんと残ったんだ。

転んだあと、自分では起き上がれなかったの。でも、そのときの私、泣いたりしなかったよ。「ああ、これが今の私なんだな」って、ちゃんと受け止めてたの。ママが「もういいよ、今日はがんばったね」って抱き上げてくれたとき、私はちょっとだけ得意げな顔してたかもしれない。

あなたのお友達も、もしかしたら、歩くのが辛い日があるかもしれない。でもね、たとえ数歩でも、その一歩に生きる力が込められてるって私は信じてるの。

「もう歩かなくていいよ」って言われることが、私たちにはつらいときもあるんだ。歩けなくてもいい。でも、歩こうとしたいって気持ちだけは、どうか受け止めてほしいなって思ってる。

今日は歩いたよ、私。何度も転んだけど、そのたびに「よいしょ」って、心の中で声をかけながら歩いたんだよ。それだけで、じゅうぶん。私、がんばったよ、ね。

水を飲んで、チュールを食べて、私がしたかったこと

チュールをぺろぺろしたあと、私は少しだけのどが渇いてきてね、ゆっくりと水の器のほうへ向かおうとしたの。だけど、そのゆっくりが、思ってた以上に大変で、ふらっふらだったんだ。途中でまた転んじゃって、しばらく動けなくなっちゃったの。

でも、あきらめなかったよ。ママがそっと抱っこしてくれて、水飲み場まで連れていってくれたとき、私は少しでも自分で器に顔を近づけようって、首だけ一生懸命にのばしたの。

冷たいお水を口に含んだ瞬間、なんだか身体の中まで「大丈夫だよ」って言ってもらえた気がしたの。ごくごくっていう音を自分で聞きながら、「ああ、私、まだ生きてるんだな」って思った。

水を飲んで、チュールを食べたあと、ふつうならそのままベッドに戻って休むのがいちばんいいんだと思う。でもね、今日の私は、ちょっとだけ、どうしてもやりたいことがあったの。

それはね、ママのいる場所まで、自分の足で行きたかったの。台所に立ってるママの背中が見えて、「ママ、そっち行きたいな」って思ったのよ。理由なんてないの。ただ、そばに行きたかったの。

歩くっていうより、転びながらにじり寄っていくような感じだったかもしれない。途中でまた倒れて、すぐには起き上がれなくて、ちょっとくたびれちゃったけど、それでも気持ちはちゃんと前を向いてたの。

やっとの思いで、ママの足元までたどりついたとき、ママが私の顔を見て、「リア、来てくれたの?」って言ったの。目が少しだけ潤んでた。

そうよ、ママ。私は、来たかったの。今日の身体じゃ、たぶんもうそんなに何かをすることはできないけど、あなたのそばにいたいっていう気持ちは、ちゃんとあるんだよ。

あなたのお友達にも、そういうときってあると思うの。なにか目的があるわけじゃないけど、ただそばにいたいって、そう思って近づこうとしてるとき。歩けなくても、苦しくても、それでも、あなたと過ごすこの時間が一番の支えになるのよ。

私が今日したかったこと、それは、ママのそばに、自分の足で行くこと。それだけだったの。それだけだけど、それがすごく大切だったんだ。

今できることだけでいいよね。

今日の私は、たくさんのできないことと出会ったの。ごはんは食べられなかったし、歩こうとして転んじゃったし、自分で起き上がることすらむずかしかった。でもね、その一つひとつのできないことのなかに、ちゃんとやろうとした気持ちがあったのよ。

たぶん、昨日できたことが今日はできなくなっていて、明日はもっと難しくなっているかもしれない。でも、それでもいいの。今この瞬間、「私はここにいる」っていうことが、何よりも大切だから。

ママが「今日はもう休もうね」って言って、ふかふかのお布団をかけてくれたとき、私はそっと目を閉じながら思ったの。「今日は今日で、よくがんばったなあ」って。

それはね、決して強がりじゃないの。今できることが少しでもあれば、それだけで生きている意味があるって、私は信じてる。

だから、あなたのお友達にも、もしできないことが増えてきて不安になってる子がいたら、伝えてあげてね。できないことがあっても、あなたがそこにいるだけで、もうそれで十分なんだよって。

無理にごはんを食べさせようとしなくてもいいの。歩けない日があっても、それを責めないでほしいの。今できることを一緒に見つけて、それでいいよって受け止めてくれるあなたがそばにいることが、何よりの幸せなのよ。

今日の私は、チュールをぺろぺろできた。お水を飲んだ。数歩だけど歩こうとした。ママのところまで行きたくてがんばった。

全部できた。全部、今の私にとっての「できること」だったんだ。

だから、今日も大丈夫。明日も、また今の私なりに一日を過ごすわね。あなたのお友達も、きっとそうやって、一日一日を生きてるんだと思う。

そしてその一日、一日は、誰よりも強く、あたたかい一日。小さくて、でも確かに輝いてる、大切な時間なんだ。だから、今できることだけでいい。私たちは、今ここに生きてるのだから。

リアより

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