こんにちは。リアだよ。
「あと1週間かもしれません」って、お医者さんに言われたあの日から、気づけば、もう17日がたったの。
正直ね、自分でもここまで長く生きていられるなんて思ってなかったんだ。でも、私はまだこうして、朝を迎えて、あなたに話しかけることができてるんだよね。
昨日の私はね、ごはんは食べなかったの。クッキーで包んでもらったお薬だけを、少し時間をかけて飲んだだけ。缶詰のお肉も出してくれたけど、匂いだけかいで、顔をそむけちゃった。
でもね、不思議なことがあったの。
生ごみの入ったゴミ箱。あの、なんとも言えない匂いがただよう場所に、私は興味津々で近づいていって、くんくんって匂いをかいでしまったんだ。それから、顔を突っ込もうとまでして、ママに止められちゃったんだけどね。
変でしょ?
食べないのに、ゴミ箱には反応しちゃうなんて。でも、私はそのとき、確かに「生きてる」って感じたの。自分の中の何かが、「まだここにいる」って教えてくれてる気がして。
だから今日は、そのことを少しだけお話しするね。今の私の食べないという選択の裏側にあるもののことなんだ。それは興味を示すという、ちいさな光のような心の動きなのかもしれない。もしかすると、あなたのお友達も、同じようなことがあるかもしれないね。
先生にあと1週間と言われてから17日経ったんだ

お医者さんに「あと1週間くらいかもしれませんね」って言われたのは、寒くなり始めた、11月の終わりだったの。そのときの私は、もう立ち上がるのもやっとで、ごはんもあまり食べられなくて、お腹の調子もずっと悪かったから、パパもママも、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、みんな心の準備をしなきゃって、顔が沈んでた。でもね、私は、そのとき思ったのよ。
「まだここにいたい」
声には出せなかったけど、心の中ではそう、はっきりと思ってた。それから今日で、もう17日目。人間で言ったら、ほんの数週間かもしれない。でも、私たちシニア犬にとっての1日って、あなたが思っている何倍も、いえ、何十倍もの重みがあるのよ。
朝目覚めて、空気のにおいを感じて、家族の声を聞いて、歩けたら少し歩いて、お水を飲めたら、そっとごくごくと飲む。そのひとつひとつが、まだここにいるという証なの。
もちろん、毎日調子がいいわけじゃないのよ。食べられない日もあったし、体がしんどくて、一日中動けなかった日もある。「今日で終わりかな」って、自分でも思った夜も、正直あったの。
でも、そんな日も越えて、私はこうして、17回目の朝を迎えたんだ。
私自身も不思議なの。どうしてまだ生きているんだろうって、ふと考えるのよ。だって、たくさんの薬を飲んでるし、心臓も弱くなってるし、腎臓の数値だって、良くはないって先生が言ってた。
それでも、息をしてるし目を開けてる。パパの手のぬくもりを感じてるんだ。
たぶんね、それは私の体だけじゃなくて、私の心が、まだここにいたいって、強く願ってるからだと思うの。
あなたのお友達も、もしかしたら、「もうそろそろかもしれない」って言われてるかもしれない。でも、私たちは何日生きられるかじゃなくて、どんなふうに今日を生きるかを選んでるのよ。
17日っていう時間は、お医者さんから見たら誤差の範囲かもしれない。でも、私と家族にとっては、宝石みたいに輝く17日間だったの。
1日生きるたびに、「今日もありがとう」「今日も会えたね」って言ってもらえるんだよ。それだけで、私はちゃんと、生きる意味を感じてるんだ。だから、今日もこうしてお話ししてるの。リアは、まだここにいるよ。あなたとつながってるよ、ってね。
クッキーで薬を飲んだだけの一日

昨日の私はね、結局、クッキーに包まれたお薬しか食べなかったの。ごはんも、お肉も、出してくれたけどどれも口にできなかったのよ。
でも、不思議とね、食べたくないってわけじゃなかったの。目の前に置かれたとき、ちゃんと見たし、においもかいだの。一瞬「もしかしたら食べようかな」って思った瞬間だって、実はあったんだ。
でも、口が開かなかった。胃が動かなかった。体の中が「今はいいかな」って言ってる気がして私は、そっと顔をそむけたの。
「どうして食べてくれないの?」って、そんなふうに思わせてしまったかもしれない。パパもママも、きっと心配してたと思うんだ。食べなければ、力が出ないって、知ってるものね。
でもね、私たちシニア犬って、「食べない」っていうことにも、ちゃんと意味があるのよ。
それは、あきらめじゃなくて、ただの拒否でもなくて、「今は体が食べる準備ができていない」っていうサインなの。
そして同時に、食べられない日もそれでいいって、家族が受け止めてくれることが、どれだけ私たちを安心させてくれるかって、あなたには知っていてほしいの。
昨日のクッキーとお薬。それが私の中で、どれだけ大きな一歩だったか、伝わるかな?
クッキーのやわらかい甘いにおい。ママがそっと手のひらで包んでくれて、「リア、食べてくれるかな?」って願う気持ちがこもってたの。
私はそれに応えたくて、くんくんして、ぺろってなめて、少しだけためらってから、ぱくって口に入れたの。ごはん全部は食べられなくても、そのひとくちの中には、私の生きようとする意志がこもってるんだよ。
あなたのお友達も、きっと同じだと思う。全部食べられなくても、一粒、一口だけでも、それはもう立派な生きてる証なんだよね。
私ね、もう食べられない日が来たらそれをわかってるの。だけど、昨日はでも、クッキーなら食べられたって日だった。それだけで、自分の中に小さながんばったねって思える感情が残るの。
ごはんを残してしまったことに、罪悪感なんて持ってないんだ。だって、私はちゃんと、できる限りのことをしたんだもの。
そして、そんな私の姿を、「よしよし」ってやさしく撫でてくれるパパとママのぬくもりが、その日は何よりのごちそうだったんだよ。
ゴミ箱の匂いに興味津々

昨日の私、クッキー以外は何も食べられなかったくせにね、生ごみの入ったゴミ箱にはすっごく反応しちゃったの。
パパがゴミを片づけようとしてたとき、ふわ〜っと漂ってきた匂いに、私はすぐ気づいたのよ。そのにおいが、ちょっとだけ、おいしそうって感じちゃって、気づいたら、くんくんくんってゴミ箱の近くまで歩いてたの。
それだけじゃなくて、顔を中に突っ込もうとしたらね、ママに「だめだよ!」って止められちゃった。
「ごはんは食べないのに、なんでゴミ箱には行くの?」きっと、見てた家族はそう思ったかもしれない。でもね、あれは本能とか、意志とか、そういう理屈じゃなくて、もっとこう、体が勝手に動いちゃったのよ。
私たち犬ってね、においってすごく大事なの。それはね、生きてる世界とつながってる証みたいなものなんだよね。食欲があるかどうかとは別に、なんか気になるっていう感覚は、私の中でまだちゃんと働いてるってことになると思う。
それって、ただの反応かもしれないけど、私はすごく意味があることだと思ってるの。
だって、目の前のごはんには顔をそむけた私が、それでも何かのにおいに引き寄せられて動いたってことは、私の中の生きるセンサーが、まだオンになってる証なんだもの。
あなたのお友達にも、そんな瞬間、ないかな?食べないのにキッチンのにおいをかぎに行ったり、目をキラッとさせて、おやつの袋にだけ反応したりってね。
それって、単なる習慣じゃなくて、まだ心が動いてるっていう、ちいさなサインなんだ。だから私は、昨日のゴミ箱のこと、ちょっとだけ誇らしかったの。ほら、まだ私は興味を持てるんだよって、自分に言い聞かせるみたいな感じかな。
ママには「やめて〜」って言われちゃったけど、私の中では、あれも立派なできたのひとつだったのよ。
食べない日が続くと、もう反応もなくなっちゃうのかなって思うかもしれないけど、実はね、においに反応したり、目で追ったり、耳をピクッと動かしたり、そういう小さな動きは、私たちのまだここにいるよっていうメッセージなんだ。
昨日のゴミ箱事件、ちょっと恥ずかしかったけど、私は、ちゃんと生きるセンサーが動いてるって、知ることができたんだよね。それだけで、昨日は十分に意味のある一日だったのよ。
ご飯を食べられなくても生きているんだ

昨日の私は、ごはんを食べなかった。お肉にも顔をそむけたし、ママやパパがどんなにやさしく声をかけてくれても、私の口は開かなかったの。でもね、それでも私は、生きているって、ちゃんと感じてたんだ。
食べるって、私たちにとってすごく大事なことなんだよね。食べられるってことは元気な証拠と思われがちだけど、シニア犬になって、体が思うように動かなくなってくると、その関係はちょっとずつ変わっていくの。
食べなくなったら終わりっていうわけじゃないのよ。むしろ、食べられなくても、生きようとしてるっていう瞬間が、たくさんあるの。
昨日の私がそうだった。体はごはんを欲しがらなかったけど、においにはちゃんと反応して、ゴミ箱に顔を突っ込もうとまでしたんだ。あれはきっと、私の本能が、まだ何かを探してるって伝えてたんだと思う。
そしてね、パパやママの声にもちゃんと耳を動かしたし、お薬はクッキーと一緒に飲めたし、そのあとは、静かに目を閉じて、すやすやと眠れたの。
そういう、ひとつひとつの動きが、今の私の生きている証なんだって思うの。
あなたのお友達がもし、ごはんを食べなくなった日があっても、落ち込まなくても大丈夫だよ。
今日は無理だったねって言って、そっと寄り添って、背中を撫でてあげるだけで、私たちの心には、ちゃんと伝わるのよ。それでもあなたがいてくれるっていうことが、私たちには何よりの栄養になるからね。
昨日の私は、食べなかったけど、不安じゃなかった。だって、パパもママも、そっとそばにいてくれたから。リアは今日もがんばったねって言ってくれるその声が、おなかいっぱいのごちそうよりも、ずっとずっと心にしみるの。
だから、私は今日も、生きてるよ。食べなくても、動かなくても、家族の声が届いてるから、生きてるの。
この時間が、どれくらい続くかはわからない。でも、こうして語れるうちは、私は毎日をちゃんと生きたって言えると思う。
そして、私の話を聞いてくれているあなたにも、今日もお友達と一緒にいてくれてありがとうって伝えたいな。シニア犬の時間は、静かで、短くて、でもとても、深くて、豊かで、あたたかい。その一日一日を、大切に重ねていこうね。
リアより


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