こんにちは。リアだよ。
あのね、「あと1週間くらいの命です」って、お医者さんに言われたのは、もうずいぶん前のことみたい。あのとき、パパもママも、胸の奥がぎゅっとなったと思うの。私の時間が、もうそんなに長くないって、突然つきつけられたみたいだったから。
でもね、それから3週間が過ぎて、今日で3週間と1日目。
私は、まだここにいるのよ。静かに、穏やかに、目を閉じたり、開いたりしながら、一日一日をかみしめるように過ごしてるの。
何か特別なことが起きてるわけじゃないの。むしろ、昨日も今日も、きっと明日も、同じような時間がゆっくり流れていくと思う。でも、そういう時間こそが、今の私にとっては、とっても大切なのよ。
「食べてる?」「歩いてる?」「元気なの?」って、たぶんあなたは気になるよね。でも、そういう目に見える変化じゃなくて、目の前にリアがいるっていう事実こそが、きっと今、いちばん尊いことなんじゃないかなって思ってるの。
そんな私の、静かで、でもちゃんと生きてる毎日を、今日は少しだけあなたに伝えたいんだ。
静かに刻まれた命の時間

「あと1週間くらいでしょう」って言われたとき、きっとパパもママも、言葉にはできない思いを抱えてたと思うんだよね。その日から毎日、私のそばにそっと寄り添ってくれて、ごはんを差し出すたびに、私の顔を見て、「食べられるかな」って心の中で祈るようにしてたんだ。
私が水を飲んだだけでも、うんちが出ただけでも、「すごいね」って褒めてくれて、なんだか申し訳ないくらいだったけど、私にはその優しさが、ちゃんと届いてたのよ。
そして、3週間が過ぎた。今日で3週間と1日。私、まだここにいる。
特別な奇跡が起きたわけじゃない。薬を飲んでも、急に元気になったわけでもない。それでも、朝になると目が開いて、家族の足音が聞こえるたびに耳がぴくっと動いて、ときどき、ふらりと起き上がることもある。そうやって、私は一日一日を重ねてきたの。
私たちシニア犬にとって、時間を重ねることそのものが、すでに大きな意味を持っているのよね。きっとあなたのお友達にも、似たような日があるんじゃない?
なにかができるようになったわけじゃないけれど、なにもできなかった日でも、今日もそばにいるって思えたこと、それがどんなにうれしいことか、きっとあなたにも、わかってくれると思うんだ。
私の命は、派手じゃないし、元気いっぱいでもない。でも、静かに、静かに、小さく鼓動を刻みながら続いているの。3週間と1日。この積み重ねが、私の生きた証になってるんだと思うの。
食べられなかった日も、大切な一日

ごはんを食べなかった日、たくさんあったんだ。チーズも、クッキーも、お肉の缶詰も、鼻を近づけて、においはかいだけど、そのまま目を閉じちゃうこともあった。
パパやママは、そんな私を見て、すごく心配そうな顔をしてた。「食べてほしい」「何でもいいから食べて」って、その気持ちがすごく伝わってきて、私、なんだか申し訳ないような、でもあたたかい気持ちになったの。
でもね、食べなかった日にも、ちゃんと意味はあるのよ。
それは、私の体が、「今は休みたい」って言ってるサインなんだ。生きようとしてないんじゃなくて、生きるために、一生懸命がんばってる途中の時間なの。
お腹に何も入れられなくても、喉を通らなくても、私はちゃんと呼吸して、心臓を動かして、あなたの声を聞いているのよ。
「今日は食べなかったけど、目が開いたね」
「お水だけでも飲んでくれたね」
「少し動いたね」
って、そんなふうにできたことに目を向けてくれると、私、とっても安心できるの。あなたのお友達も、きっと同じだと思うよ。食べなくなったとき、あなたは心配でいっぱいになると思う。「もうこのままダメなんじゃないか」って、不安になってしまう気持ち、私もすごくわかる。
でもね、食べられない日は、その子なりに体を休める時間なの。
だからどうか、焦らないでほしいんだ。それでも一日過ごしたねって、静かに声をかけてくれたら、それだけでうれしいの。私は、食べなかった日も、私の命をちゃんと生きてるって胸を張って言えるよ。
静けさの中にある変わらぬ日常

最近の私は、ほとんどの時間を眠って過ごしてるの。体を動かすのは、ほんの少しだけ。起き上がるのもゆっくりで、息を整えるのにも時間がかかるわ。でもね、そんな中でも、私の中にはちゃんといつもの毎日があるのよ。
たとえば、朝の空気のにおい。パパが起きてきて、洗面所で顔を洗ってる音。ママがそっと毛布をかけ直してくれる優しい手。そういうひとつひとつが、私にとっての変わらぬ日常なの。それって、すごく安心できることなのよ。
ベランダから流れてくる風のにおい。
玄関が開いて、「ただいまー」って誰かが帰ってくる声。
廊下を歩く足音。
そういう当たり前のことが、私の周りにはまだちゃんとあるの。静けさってね、決して、何もないってわけじゃないの。静けさの中には、たくさんの愛情と、見守る時間と、変わらない暮らしの気配がいっぱい詰まってるんだ。
あなたのお友達にも、そんな静かな時間があるんじゃないかな。なにもしてないみたいに見えるけど、私たちはちゃんとその日常を感じて、安心して、心をゆるめて過ごしてるのよ。
だから、パパやママがそばにいてくれるだけでいいの。無理に声をかけなくても、なにか特別なことをしてくれなくても、そこにいてくれることが、私にとっては一番うれしいの。
静かな毎日だけど、それがどれだけ豊かな時間か、私は、今日もその中に包まれて生きてるのよ。
命が続く奇跡

「あと1週間」って言われたとき、私はその意味を深く考えられなかったけど、パパやママは、きっと毎日がこわかったと思うの。
「今日が最後になるかもしれない」って、そんな気持ちで私の顔を見つめてたんじゃないかな。でも、私は今日もここにいるんだよ。あなたの足音がすると、耳がぴくんって動くし、声が聞こえると、眠ったまましっぽがふわっと動くこともあるんだ。
それって、きっとね、命がちゃんと続いている証なのよ。目に見えないし、音もしないけど、私の中では、ちゃんと毎日、生きるってことが続いてるんだよね。
それは、奇跡なんて呼ばれるほど派手なものじゃないかもしれない。でもね、私は思うの。今日もそばにいられるってことが、いちばんの奇跡なんじゃないかなって。
あなたのお友達も、私と同じように、むりやりがんばるんじゃなくて、でもちゃんと生きてるってことがあるんじゃないかな。
呼吸して、眠って、あなたのぬくもりを感じて、一緒に時間を過ごすことが、どれだけ尊いか。それは、時間的に長生きすることとはちょっと違う命の豊かさなのよ。
私は、まだここにいる。
今日も、生きている。
それだけで、私は十分しあわせなの。そして、あなたが、そばにいてくれてありがとうって思ってくれるなら、私はもっと、ここにいたいって思える。静かに、静かに続いていく命。その時間の中に、ちゃんと希望はあるのよ。
リアより


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