あけましておめでとうございます!先月末にあと1週間って言われた私だけど年を越せたよ

シニア犬の日常

あけましておめでとうございます!

今年も、私はちゃんとここにいます。パパのそばで、ママの声を聞きながら、こうして新しい年を迎えられたこと、自分でもちょっと信じられないくらいなんだよ。

先月の終わり、先生にね、あと1週間くらいかもしれませんって言われたの。そのときは家族もすごく心配してたし、私もなんだか眠くて、ごはんもあんまり食べられなくて、もしかしたらって思う日もあったの。

でもね、私はまだここにいるんだよ。お正月の朝を迎えられたんだ。あったかい毛布の中で、ゆっくり目を開けて、今年も生きてるよって、小さくつぶやいたの。

体はだいぶ軽くなっちゃったし、歩くのもパパに手を添えてもらわないと難しいけど、それでもチュールでお薬を飲めたし、昨日は大好きな軟骨も4かけら食べられたのよ。

今日はそんな、新しい年を迎えられた私の気持ちを、ゆっくりお話しするね。あなたのお友達にも、届きますように。

あと1週間と言われてから命をつないで迎えた新年

「リアちゃん、あと1週間くらいかもしれません」

そう先生に言われたのは、11月の終わりだったの。お腹の調子も悪くて、下痢が止まらなくて、レントゲンやエコーで膵臓の炎症や脾臓の腫れが見つかって、おまけにリンパ節も腫れてるって。

家族はみんなショックだったと思う。パパもママも泣いてたし、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、私のそばにずっといてくれたの。私も、そのときは、正直言ってちょっと怖かったんだ。体がどんどんしんどくなって、いつものように歩けなくなって、ごはんも食べられなくなって、これがおわりってことなのかなって思った。

でもね、そのあと1週間が過ぎて、私は1日、また1日って、ゆっくりだけど時間を重ねて、とうとうお正月の朝を迎えることができたんだよ。

もちろん、体調が良くなったわけじゃない。毎日ほとんど横になってるし、ちょっとした動作もすぐ疲れちゃう。でも、生きてるってことは、すごく大きなことなんだって気づいたの。

呼吸が浅くなっても、お腹がぐるぐるしても、チュールをなめてお薬を飲むたびに、ああ、今日もがんばったなって思えるの。お医者さんの言葉って、たしかに現実かもしれないけど、そのとおりにならない日々もあるんだよね。それは、奇跡とか運命とかじゃなくて、私の体と気持ちが、まだ生きたいって言ってたからだと思うの。

あなたのお友達にも、あと少しって言われた日から、たくさんの今日を積み重ねてる子がいるかもしれないね。そんなあなたとお友達に、私は言いたいの。

どんな小さな一日でも、生きるってすごいことなんだよ、ってね。

痩せていく体でも小さな一歩を歩ける幸せ

私の体ね、ほんとうに小さくなってきたの。毛がふわふわしてるから見た目にはわかりにくいけど、だっこされたときのママの手が、ちょっとだけ切なそうになるのがわかるの。前はもっとずっしりしてたのに、って思ってるのかもしれないね。

お尻の筋肉も落ちてきて、自分で立ち上がるのも、ふらふらしちゃうことが多くなった。昔は軽やかにお散歩してたのに、今はほんの数歩でも、しっかり踏みしめて歩くって感じなのよ。

でもね、パパがそっと体を支えてくれると、私はまだ歩けるの。はい、リア、がんばれって手を添えてくれると、前に一歩、また一歩、歩くことができるんだ。

その一歩はたぶん、家族にとってはすごく特別なものみたい。リア、歩けたねって、ほんの数歩なのにすごくうれしそうに言ってくれるのよ。私も、まだ歩けるよって気持ちを、ちゃんと伝えたくなるの。

人間の時間と違って、私たちの時間はとても濃いんだ。1日、1時間、1分、そのすべてが愛おしいんだよね。だから、たとえ歩く距離が短くなっても、そこにある気持ちは、ずっと変わらないの。

あなたのお友達も、少しずつ歩くのがしんどくなってるかもしれないね。でも、そっと手を添えてあげて、一緒に歩いてみてほしいんだ。その一歩一歩が、思い出になっていくからね。

私は今日も、パパと一緒に歩いたよ。ほんの数歩だったけど、それは私の生きてるって証だったの。

チュールで薬が飲めるって生きる力をつなぐごほうびなんだ

最近の私にとってね、チュールをなめるっていう時間は、ただのおやつじゃなくて、とっても大事な時間なの。

お口を開けて、ぺろっとなめて、味を感じて、ゆっくり飲み込むってそれだけのことなんだけど、今の私には、けっこう体力を使うのよ。

それでもね、不思議なことに、チュールを見るとちょっとだけ、がんばろうかなって思えるの。ママが袋を持つ音がして、「リア、お薬の時間だよ」って声をかけてくれると、自然と気持ちが前を向くんだ。

大みそかの昨日はね、チュールを3本なめることができたの。その中に入ってたお薬も、ちゃんと飲めたよ。一気には無理だから、ゆっくり、少しずつだったけど、できたって思えた瞬間だったんだよ。

ちゃんとチュールでお薬を飲めたの。年の最後の夜に、こうしてお薬を飲めたこと、私にとってはすごく意味のあることだったの。チュールってね、おいしいだけじゃなくて、今日も生きようって気持ちをつないでくれる存在なんだと思う。

あなたのお友達にも、きっとあるよね。お薬が苦手でも、これなら受け入れてくれるもの。それは妥協じゃなくて、生きるための工夫なんだよ。

私は、チュールをなめながら、今日も大丈夫って、自分に言い聞かせてるの。一本、また一本って、その積み重ねが、今の私を支えてくれてるんだ。

軟骨4かけらでも食べることは小さな奇跡

大みそかの夜、私はね、軟骨を4かけらも食べられたの。それは、ほんとうに小さな、でもすごくうれしい出来事だったのよ。前はね、ペロッと何でも食べられたし、お肉を見たら、ちょうだい!ってぴょんぴょんしてたくらいだったの。

でも最近は、においだけかいで、今日はいいかなってなることも多くなって、お口を動かすのも、飲み込むのも、ちょっと勇気がいる感じだったのよ。

そんな私が、昨日は軟骨を見たとたん、ちょっと食べてみたいかもって気持ちになったの。パパが小さく切って、やさしく口元に持ってきてくれてね。そしたら、カリッ、コリッって、ちゃんと噛めたの。

1かけ、また1かけ。合計で4かけら。たったそれだけかもしれないけど、
私には、ごちそういっぱい食べた!っていうくらいの達成感だったんだよ。

家族も、びっくりしてた。リア、食べた!、すごいね、リア!って、まるで大ニュースみたいに喜んでくれて、その笑顔を見るだけで、私の心もポカポカになったの。

食べることって、すごく大事なことだよね。体に栄養をあげるってだけじゃなくて、まだ食べられるってことが、自信になったり、生きようって気持ちにつながったりするの。

あなたのお友達にも、今日は何か食べたっていう日があったら、それは奇跡みたいにすごいことなんだと思う。たとえひとくちでも、それは「まだ一緒にいたい」っていう気持ちのあらわれだと思うの。

昨日の私は、軟骨を食べて、来年もがんばれそうって、そんな気がしたんだ。

横になったままでも生きている時間なんだ

ここ最近の私は、ほとんどの時間を横になって過ごしてるの。前みたいに家の中を歩き回ったり、お兄ちゃんを追いかけてぴょこぴょこしたり、そういう元気な姿は、もう見せられないけどね。

でも、私にとって横になってるって、何もしてないわけじゃないの。ちゃんと生きてるし、感じてるし、思ってる。目を閉じてても、パパの足音や、ママのやさしい声が聞こえるし、家の中の空気が変わるたびに、今、誰が帰ってきたんだろう?ってちゃんと気づいてるの。

そしてね、誰かがそばに来てくれて、背中や頭にそっと手を添えてくれると、そのぬくもりが体中に伝わって、ここにいるだけでいいんだなって思えるのよ。

私の体は、もうそんなに自由に動かない。でも心は、まだちゃんと動いてるし、愛されてることを、しっかり感じてるの。

あなたのお友達にも、きっと似たような時間があると思うの。ずっと寝てばかりで、動かない日が増えてきても、それは終わりじゃなくて、休んでるだけかもしれないよ。

ゆっくり息をして、そっとまぶたを閉じて、安心できる場所で眠る時間、
それはね、生きる力を整える、大切なひとときなの。

私は今、その時間を大切にしてるんだ。毎日がんばってる体に、おつかれさまって声をかけながら、明日もまた、目を開けるためにね。

こうして、新しい年を迎えることができた私。正直、自分でもびっくりしてるのよ。だって、あと1週間くらいって言われてから、もう1か月以上が経ったんだもん。

でもね、それは奇跡なんかじゃなくて、パパやママ、家族みんながそばにいてくれたからなんだ。私が、まだここにいたいって思えるように、やさしくて、あったかい日々をくれたからなんだよ。

ごはんを食べることも、歩くことも、ひとつひとつが少しずつ難しくなってきてるけど、それでも私、今日もちゃんと生きてる。

あなたのお友達も、きっといろんな毎日を過ごしてるよね。病気のこと、年齢のこと、不安なことがいっぱいあっても、その中にある小さなできたってことを見つけて、一緒に喜んでくれる家族がいるなら、それだけで十分幸せなんだと思う。

今年も、私は私らしく、ゆっくりのんびり、家族のそばで生きていくつもり。あなたのお友達にも、そんな時間がたくさんありますように。またね。

リアより

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