私、がんかもしれない。でも家族と一緒の最後を選んだの

シニア犬の日常

こんにちは、リアだよ。

ねえ、ちょっとだけ聞いてくれる?

わたしね、昨日、病院に行ったの。おなかの調子がずっと悪くって、何日も下痢が止まらなかったから。パパとママ、すごく心配してたんだ。でも、あたしは平気なふりしてたのよ。だって、不安にさせたくなかったから。

でもね、病院でいろいろ調べてもらったら、お医者さんに「リンパ腫かもしれません」って言われたの。リンパ腫っていうのは、血液のがんなんだって。膵臓もちょっと炎症があって、脾臓も腫れてて、リンパ節までってすごいよね。レントゲンとエコーと触診で、いろんなことがわかっちゃったみたい。

そのとき、パパとママの顔がね、すごく真剣だった。いつもみたいに「大丈夫、大丈夫」って言ってたけど、わたしにはわかるの。パパの手、少し震えてたんだよ。

お医者さんは、「すぐにでも入院して酸素室に入れたほうがいい」って言ってたけど、わたしね、それはイヤだった。だって、おうちが好きなんだもん。パパの横で寝るのも、お姉ちゃんと見つめ合うのも、ママの声が聞こえるキッチンのそばでのんびりするのも、ぜんぶわたしの日常で、安心のもとなんだから。

それに、パパとママも思ってくれたの。「リアが最後に過ごす場所は、病院じゃなくて、家族のそばがいい」って、そうしてくれたの。うれしかった。

だから今、わたしはおうちにいるよ。プレドニゾロンっていうステロイドのお薬と下痢止めを飲んで下痢は止まったし、また普通のうんこが出たの。ちょっとだけど、お散歩にも行けたんだよ?

たぶん、良くなってるんじゃないのかな。て、わたしは思ってるの。

でもね、パパたちは「これは良くなるじゃなくて、穏やかに過ごせてるってこと」だって言ってた。うん、それでもいいんだ。わたしは、今、あたしの大好きな毎日をちゃんと感じてるから。

今日は、そんなお話をさせてね。わたしの最後の時間のこと、あたしが「どうやって過ごすか」って決めたこと、あなたにも、少しでも伝わったらうれしいな。

おなかの調子がずっと悪くて、病院に行った日

あなたは覚えてるかな。私がおなかを壊して、何日も下痢が続いていたあの日のこと。私自身も覚えているの。身体がなんとなくだるくて、おなかがぎゅるぎゅるして、ご飯を見ても前みたいに「食べたい」って気持ちが湧いてこなかった。でも、あなたや家族のみんなが心配する顔を見るのはつらくて、私はできるだけ「大丈夫だよ」ってふりをしていたの。

本当は、身体の中で何が起きているのか、私にはよくわからなかった。ただ、以前とはちがう感じがしていたんだ。歩くときの力の入り具合とか、おなかの重たさとか、胸のあたりの違和感とか、年を重ねたせいだけじゃない、なにか別のものが身体の奥にいるようなそんな感じ。

そんな日が続いて、とうとうパパがね、「病院に行こうね、リア」って言ったの。その声はやさしいけれど心の奥に小さな震えがあって、私はその震えを聞き逃さなかったんだ。

病院につくと、あの独特の消毒のにおいと、聞き慣れた機械の音。私は若い頃から何度も通っている場所だから慣れているつもりだったけれど、この日はちょっと違ったんだよ。誰よりもあなたが緊張しているのが伝わってきて、その空気が私の背中にも静かに降りてきたんだ。

先生は、まず触診で私のおなかをそっと押したり、リンパ節をひとつずつ確認したりしていたんだよね。その指先は冷たくないのに、私には少しざわっとするような感覚があったんだ。

あのとき先生は、いつもの説明とはちがう少し慎重な声で「うん、ここ、少し腫れてますね」と言ったの。その言葉と同時に、あなたの呼吸がほんの一瞬だけ止まったのを私は感じたんだ。

触診が終わって、レントゲン室に入ることになったんだ。あのベッドに横になって、じっとしている時間って、どうしてあんなに長く感じるんだろうね。でも、私はじっと耐えたよ。あなたと家族に不安を増やしてほしくなかったから。

撮影したレントゲンを見ながら、先生は慎重に言葉を選びながら説明してくれたんだ。膵臓のあたりに炎症があるかもしれないことや、脾臓が少し大きく見えていること。そして、そして、腸のあたりに異物のような影も見える、ってね。

「誤飲によると思われる異物は結腸まで来ているから、おそらく自然に出ると思います」と言われても、あなたの表情は晴れなかったよね。

次はエコー検査。おなかにひんやりしたジェルを塗られて、機械でなぞられていくんだよ。画面の白や黒の揺れは、私にはどんな意味があるのかわからないけれど、先生の眉が少し寄るのを私は見逃さなかったんだ。脾臓の腫れ、そして触診でのリンパ節の腫れあがり。それらが一つひとつ積み重なって、先生は静かに「リンパ腫の可能性があります」と言った。

パパの胸がドクンと鳴ったのが、私には聞こえるくらい鮮明だったんだ。家族が私を撫でる手が少しだけ強くなったんだよね。

「血液検査でも腎臓の数値がだいぶ悪くなってきていますね。心臓のお薬を続けている影響もあると思います」

先生のその言葉に、パパは黙ってうなずいていたんだ。私の身体が、ひとつひとつ弱ってきている現実を、あなたが正面から受け止めようとしているのが伝わってきたんだよね。

私ね、そのとき思っていたの。「こんなふうに病気の名前がどんどん出てきてしまっても、あなたは私を置いていかないでくれるんだ」って。どんな話をされても、ずっと私の目を見てくれるあなたがそばにいる安心感は、検査の不安よりずっと大きかったんだ。

先生はそれで終わらずに寝、さらに続けたんだよ。「この臓器の状態とリンパ節の腫れの広がりから見ると、リンパ腫がすでに進んでいる可能性があります。末期に近い段階だと思います」って。

それを聞いた時、病院の空気が、少し冷たくなったような気がしたんだ。あなたがそっと私の胸を撫でてくれた手の温度だけが、あのときの私を守ってくれていたと思う。

そして先生はね、「本来なら、すぐに入院して酸素室に入るレベルです。状況は末期の血液のがんに至っていると思います。状況にもよるけれどあと1週間くらいかな」って言ったんだけど、その言葉には、緊急性とか治療の必要性とか、そういう意味が詰まっていたんだと思う。

でも、パパはね、すぐには返事をしなかったんだ。私の顔を見てから、先生の方に向き直って真剣に聞いていたよね。そのとき、パパの頭の中には、きっと「私がどうしたら一番幸せか」ということだけが渦巻いていたんだと思う。

検査室から出たとき、私は少し疲れていたんだけど、でもパパがね「リア、おつかれさま」って言ってくれた声に、私は安心して尻尾をゆっくり振ることができたんだ。あのときは、すべての結果がまだ現実の重さとして胸に落ちきっていなかったけれど、私はなんとなく気づいていたの。これは、最後の時間に向かっていくんだなって。

それでもね、私は怖くなかったの。だってずっとパパやママがそばにいたから。私の身体がどうなっていっても、その手の優しさだけは消えないとわかっていたからね。

あの日の病院は、悲しい知らせをもらった場所でもあったけれど、同時に「私は一人じゃない」って再確認できた場所でもあったの。だから私は、あの日のことをちゃんと覚えておきたいと思ってるんだ。

がんってわかっても、私は手術もしないし、入院もしないの

ねえ、あなたのお友達も、年を重ねてくると病院でいろんなこと言われたりするでしょ?私もね、あの日いろいろ検査を受けて、先生から「リンパ腫の可能性が高いです」って言われちゃってさ。

言われた瞬間は、パパがちょっと黙り込んじゃったのを横目で見て、「あ、これはただの下痢じゃ済まないやつなんだなぁ…」って、私もちょっとだけ思ったんだよね。

でもね、だからって全部の治療をしなきゃいけないってわけじゃないんだよ。シニアになると、若い頃と違って、私たちの身体って無理がきかなくなるし、治療そのものが負担になることだってあるの。あなたも、お友達を連れて病院に行くとそう感じるときあるでしょ?

先生はね、「入院して酸素室に入ったほうがいいです」ってパパに言ったんだよ。その声は本気で心配してくれてるのがわかるくらい真剣で、パパもちゃんと聞いてたんだけど、すぐに返事はしなかったの。

だってさ、酸素室って確かに安全かもしれないけど、私は知らない場所でひとりで過ごすの、ちょっと怖いんだよね。あなたのお友達もそうだと思うんだけど、私たちって家族の気配がするだけで落ち着くし、名前呼ばれるだけで安心する生き物なんだよ。

それにね、私には心臓の病気もあったし、腎臓も悪くなってたし、先生も「抗がん剤治療は体力的に厳しいかもしれない」って言ってたの。パパは帰り道、ママに電話してすごく丁寧に説明してたんだけど、「リアに負担が大きすぎる治療は選ばないほうがいいと思う」って、その声、ちょっと震えてたんだよ。

でね、ママもすぐ病院に来てくれて、二人でちゃんと話して決めたの。「リアが最後まで心穏やかに過ごせることが一番だよね」って。

だから私たちは、抗がん剤治療はしないって決めたの。確かに、抗がん剤を使えばひょっとしたら時間は少し延びるかもしれない。でも、その分つらい日が増えちゃうかもしれないし、通院とか検査とか、体力も気持ちもいっぱい使っちゃうの。

私、もう15歳だしね。若い頃みたいにすぐ回復できるわけじゃないんだってこと、自分の身体がいちばんよくわかってるんだ。

だからね、プレドニゾロンっていうステロイドを飲むことにしたんだよ。これはね、がんを治すっていうよりも、痛みとか吐き気とか、しんどい気持ちを少し楽にしてくれるお薬なの。

それでね、不思議だけど、飲み始めてすぐに下痢が止まって、普通のうんこが出たの。久しぶりに「ちゃんと出た!」って感じがしてさ、パパもママもすごく喜んでくれたんだよ。

「リア、すごいじゃん……!」って、あの時のママの顔、ちょっと泣いてるような、でもすごく嬉しそうな顔だった。

お散歩もね、少しなら行けるようになったの。病院の後、近くの神社まで散歩に行ったんだ。前みたいにぐいぐい歩くのはもう無理だけど、空気のにおいを感じたり、風が耳をかすめたり、そういう小さなことがすごく幸せに感じるんだよ。

先生からは「今の状態は末期に近い」って言われてるし、プレドニゾロンで良くなってるっていうより、穏やかに過ごせてる時間を作ってるってことなんだよね。

でもさ、それでいいんじゃないかなって私は思うんだ。だって、がんがどこまで広がってるか確定診断したところで、私が選べる治療はもう限られてるし、これ以上痛い思いしたくないもん。おうちで、パパとママと、家族と一緒にいられるほうが、私にとってずっとずっと大事なんだよ。

あなたのお友達も、きっと同じだと思う。治すことよりも、大好きな人のそばで安心して過ごす時間のほうが、ぜんぶより大切って感じる子、多いんじゃないかな。

だからね、私は思うの。「がんって言われても、必ず戦わなきゃいけないわけじゃないよ」って。「最期の時間をどう過ごすか」って、その子と家族が決めることであって、誰かが正しいとか間違ってるとか、そういう話じゃないんだよ。

私はね、入院もしないし、手術もしないし、抗がん剤もしないって決めたの。でもね、それはあきらめるんじゃなくて、私が私らしく生きられる道を選んだってことなの。

あなたにも、あなたのお友達にも、もし同じような道を選ぶ日が来たら、どうか自分を責めたりしないでね。それぞれの家族に、それぞれの正解があるんだから。

少しずつ元気が戻ってきた私が、あなたに伝えたいこと

あのね、あなたにも聞いてほしいんだけど、私、プレドニゾロンを飲み始めてから、本当に少しずつだけど元気が戻ってきたの。

もちろん病気が治ってるわけじゃないってことはわかってるよ。先生にも言われたし、パパとママもちゃんと話してくれたしね。でも、それでも今日を生きるのがちょっと楽になるっていうのは、すごく大きいことなんだよ。

あなたのお友達も、たぶん似てるところあると思うんだけど、私たちシニア犬って、調子が悪いときは目でわかるくらい弱っちゃうけど、ちょっとでもラクになれば、光が戻るんだよね。人から見るとほんの小さな変化かもしれないけど、私たちにとってはその一歩が本当に大事なの。

下痢が止まった今朝なんて、パパとママが顔を見合わせて「よかった!」って言ってくれてさ、その声がね、まるでおひさまみたいにあったかかったの。私、このことはたぶん忘れないと思う。

それでね、普通のうんこが出た後は、なんだか身体の力がちょっと戻った感じがしたの。足が軽くなったっていうのかな。その日の午後に、パパが「少しお散歩行ってみる?」って言ってくれてさ。私はほんとにゆっくりしか歩けないんだけど、道のにおいとか、風の流れとか、昔は当たり前だったものが全部すっごく特別に感じたの。

あなたのお友達も、そんな時間持ってたりする?歳を重ねてくると、景色の見え方とか感じ方が変わってくるんだよね。若いころはただ通り過ぎてた場所でも、いまは「ここ、気持ちいいなぁ」って立ち止まりたくなったりするの。

パパもママもね、「リアがこんなふうに歩けるなんて」って言ってすごく喜んでた。たぶん、喜びの理由は歩けたからだけじゃなかったんだよね。私がまだここにいて、私らしく過ごせてるってことが、きっと嬉しかったんだと思う。

でも、ここでひとつだけあなたに伝えたいことがあるんだ。それはね、元気が戻ったように見えても、治ったわけじゃないってこと。あえて言うと、これはプレドニゾロンがくれてる穏やかに生きられるための時間なの。

だからね、あなたがお友達の変化を見て「良くなってるみたいで嬉しいけど、これってどう受け止めたらいいんだろう」って悩む気持ち、私すっごくわかるの。

だって、パパとママもそうだったから。

一瞬、希望がふわっと湧いて、でも次の瞬間には「この希望はどれくらい続くんだろう」って胸がぎゅっとなる。その気持ち、あなたも経験したことあるかもしれないよね。

でもね、私が思うのはね、続くかどうかを考えるよりも、今、この瞬間をちゃんと感じようってことなんだ。

お散歩に出たとき、風に触れた私の耳が少し揺れただけで、パパは嬉しそうに微笑んだの。そんないつもなら見逃しちゃうくらいの小さなことが、
いまは大事な思い出になるんだよね。

あなたにも、ぜひ同じことをしてほしいの。お友達がちょっと歩いたら、
座り込まずにいられたら、ご飯をひと口でも食べられたら、眠るときの呼吸が穏やかだったら、それって全部すごく素敵なことなんだよ。

シニア犬ってね、病気と闘ってるように見えるけど、本当は生きることをちゃんと選んでるの。毎日を積み重ねるその姿、あなたが思ってる以上に強くて、やさしくて、温かいよ。

私はね、プレドニゾロンのおかげでしばらくは穏やかに過ごせるって言われてるけど、その時間がどれくらいなのかは正直わからないの。でも、それでいいんだよ。

だって、今日私がちゃんと息をしてパパの声を聞いて、ママの手のぬくもりを感じて、少し歩けたっていう事実だけで、私はじゅうぶん幸せだから。

あなたも、お友達とのそんな瞬間を逃さないであげてね。それはきっと、あとからあなたの心を支えてくれるものになるから。

シニア犬として、がんと生きる最後の時間の向き合い方

ねえ、あなたはどう思う?お友達がシニアになって、身体のあちこちが弱ってきたり、病院でちょっと気になることを言われたりしたときって、胸の奥がきゅっと痛くなったりしない?

私ね、病院で末期に近いですって言われた日、パパとママの顔を見ながら、「ああ、これからは時間とのお付き合いが始まるんだな」って
なんとなく感じてたの。

でも、その時間ってね、ただ減っていくだけのものじゃないんだよ?シニア犬って、若い頃みたいに「明日はもっと元気になるかも!」みたいな感じとは違うけど、そのぶんね、今日をちゃんと生きる力がすごく強いの。

私の場合は、がんの確定診断はしなかったの。検査を重ねればはっきりわかるんだろうけど、パパとママは「これ以上つらい検査をさせる理由はないよね」って話してた。その言い方がすごくやさしかったから、私はすんなり納得できたんだよね。

がんといっても、いろんな段階や種類があって、治療の方法もいっぱいあるみたいだけど、私たちシニア犬にとっては治るかどうかよりもどう過ごせるかのほうがすごく大事だったりするの。

たとえばね、毎日のお散歩がちょっとだけでもできるかもしれないし、
家族の声が聞こえる中で眠れるかもしれないし、お水を飲むときに、パパやママが、飲めてるねって微笑んでくれるかもしれない。そういう一個一個の小さなことが、シニア期の幸せのかたちなんだよ。

あなたのお友達も、きっと同じじゃないかな?私たちは、若い頃みたいに元気よく走れなくても、家族のそばにいられるだけで心がほっとするし、
名前を呼ばれただけで「ああ、私ここにいていいんだ」って思えるの。

だからね、末期って言葉だけで「もうダメなのかな」って思わなくていいんだよ。むしろ、そこからがその子らしい時間の始まりだと思うの。

私がプレドニゾロンを飲んでるのは、がんを倒すためじゃなくて、毎日を少しでもラクに、穏やかに過ごすため。これって戦わないって意味じゃなくて、穏やかに生きる道を選ぶっていうひとつの立派な選択なんだよね。

あなたがもし、お友達の病気や老いと向き合う時がきたら、どうかね、自分を責めたり、もっと何かできたかもなんて思わないでほしいの。選んだ道がどんな形でも、そこにはきっとあなたの愛がちゃんとあるから。

それとね、私がひとつだけ言いたいのは、一緒に過ごす場所ってすごく大事ってこと。

先生には「酸素室での入院が望ましいです」って言われたけど、私はね、知らない場所で過ごすよりも、パパやママの声が聞こえるおうちがいいと思ったの。あなたのお友達も、きっとおうちが大好きでしょ?その子が安心できる場所って、それだけで強い力になるんだよ。

がんのステージとか、余命の数字とか、そういうのが気になって不安になる気持ちもわかるよ。パパやママもそうだったから。でもね、数字よりも、その子がどう感じているかのほうがずっと大切なんじゃないかなって思うの。

私は今日も、パパの声を聞いて、ママの手のぬくもりを感じて、ゆっくり息をしてるよ。その全部が生きてる証なんだって思うと、なんだかすっごく満たされた気持ちになれるんだよね。そう思えたから、心臓病がわかったとき、年を越せないといわれながらも1年以上長生きできたんだと思うの。

あなたも、お友達も、どうかその瞬間を大切にしてね。それはきっと、あなたたちの宝物になると思うんだ。

リアのいま、リアの願い。そしてあなたへのメッセージ

あなたに、いまの私の気持ちをちゃんと話したいんだ。

だって、あなたはお友達のことをすごく大事にしてる人だって、私の話を聞いてくれているだけでわかるから。きっと私の言葉も、どこかであなたの心に触れると思うの。

私ね、毎日ゆっくりだけど、ちゃんと生きてるよ。プレドニゾロンのおかげで、おなかの痛みも落ち着いて、下痢も止まったし、普通のうんこも出るようになったし、お散歩だって少しなら楽しめるの。

昔みたいに走り回るのはもう無理だし、身体も前より重たくなってるけど、私はいま、そういう自分の姿をすんなり受け入れてる。

シニアになるってね、昔できたことができなくなっていくことよりも、いまどう生きるかを選び直す力が必要になるんだと思うの。これ、あなたのお友達もきっと同じだよ。

私はね、先生に末期って言われたけど、その言葉に飲み込まれて生きてるわけじゃないの。むしろ、前より世界がはっきり見えるって感じる日だってあるんだよ。

パパの声の優しさ、ママが頭を撫でるときの指の細かな動き、空気の温度、床に落ちる光の粒みたいなもの。そういう小さなものを全部ちゃんと感じられるから、私はいまこの瞬間をすごく大事にしてるの。

あなたも、お友達と過ごす時間の中にそういう静かで深い幸せを感じる瞬間、きっとあるよね?

私が願っているのはね、パパとママと家族みんなと、できるだけ長く、穏やかな時間を過ごすこと。それがたとえ数日なのか、数週間なのか、もっと続いてくれるのかはわからないけど、時間の長さってそんなに大事じゃないの。どこで、誰と、どう生きるかのほうがずっと大事なんだよ。

あなたのお友達も、きっとそう思ってるよ。病気と向き合うとき、あなたはすごく迷うし、不安にもなるだろうし、「これでよかったのかな」って自分を責めそうになる日もあるよね。でもね、私からあなたにひとことだけ言っておきたいの。

あなたが愛を込めて決めたことは、ぜんぶ正しいよ。

治療を選んでも、選ばなくても、延命を考えても、穏やかさを優先しても、それは全部あなたのお友達がいちばん安心できるようにって思って選んだことなんだから。

パパとママもたくさん悩んだし、心の中で何度も答えを探してたのを私は知ってる。でもね、最終的に、おうちで過ごそうって決めてくれた時、その気持ちはちゃーんと伝わったんだよ。私はその優しさの中で、自分の最後の時間を過ごせるんだって思ったら、なんだか胸があったかくなったの。

あなたにも、あなたのお友達にも、もし同じような時間が訪れたときにはどうか、その子が安心できる選択をしてあげてね。選んだあとに、少し揺れる日があっても大丈夫。その度に「あなたがいてくれてよかった」って、お友達はぜったい思ってるから。

私はね、これからもゆっくり過ごすよ。家族と一緒に、風の音を聞いたり、パパの足音を感じたり、ママがキッチンで動く気配を追ったり、そんな毎日をすごく大切にするつもり。あなたのお友達も、そんな日々をきっと望んでると思うんだ。

だからね、最後にこれだけ伝えさせて。あなたは、すごく優しいよ。
その優しさは、お友達の心にもちゃんと届いてるよ。

ありがとう。私の話を聞いてくれて嬉しいな。もし、あなたが涙を流してくれたなら、その涙はきっと愛のしるしだよ。

リアより

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