キャバリアのシニア犬が認知症になっても消えない感情のかけらたち

シニア犬の日常

こんにちは。キャバリアのリアだよ。もうすぐ15歳になるシニア犬なんだ。

今日は、少し勇気を出して書いてみようと思ったの。というのも、忘れることが増えてきたからこそ、いまのうちに伝えておきたいって思ったんだ。

言葉を持たないわたしが、「感情」と「記憶」をどう抱きしめてるか。わたしなりの考えを、聞いてくれるとうれしいな。

ことばを忘れても、想いは強いんだよ

ねえ、あなたは「忘れる」って、こわいことだと思う?

わたし、最近ちょっとずつ、いろんなことを忘れるようになったの。いつものお皿がどこにあるか分からなくなったり、さっき食べたのに「まだもらってない!」って顔をしちゃったり。夜中にふと目が覚めて、不安で歩き回っちゃうこともあるんだ。

でもね、不思議と「気持ち」だけは、ちゃんと残ってるんだ。

パパの声がするだけで安心したり。ママの手が背中を撫でてくれると、うれしくて目を細めたり。そう、「想い」は、忘れない。

だからこそ、いまこのブログに、わたしの気持ちをそっと綴っていくね。

ちょっと変だなって感じた日

最初は、ほんの小さな変化だったの。いつものお散歩コースで、どっちに曲がるか迷っちゃったり、家に帰る道が分からなくなったり。それでも、「今日はボーっとしてるだけかな?」って自分に言い聞かせてたの。

でも、ある日ママが気づいたの。「リア、さっき食べたばっかりなのに、またご飯欲しがってるよ?」って。気づけば、さっき食べたことを覚えていないんだ。

「夜鳴き」も始まった。深夜、何かが不安でキュンキュン泣いてしまう。パパもママも最初は驚いてた。でも、すぐにわたしのことを気にしてくれたの。

そしてね、心臓病の診察で動物病院に行った時に見たパンフレットに私の症状が書いてあったんだ。「シニア犬の認知症のはじまりかもしれません」ってね。パパとママはしっかりと読んでいたけれどわたしはなんだかよくわからなくて、ぽかんとしてたんだ。

でも、その日から家族がもっとやさしくなったの。「リア、大丈夫だよ」って、何度も言ってくれた。忘れることが増えても、愛情はもっと増えた。それが、わたしにとっての最初の救いだったの。

消えない気持ちのしるし

たしかに、最近は「覚えていること」が少なくなったかもしれない。でも、「感じていること」は、むしろ深くなった気がするの。

たとえば、パパの靴音。玄関がカチャって開く音。それだけで、心がほわっとあたたかくなるの。それは、わたしが「うれしい」って感じてる証拠。

でも、どうやってそれを伝えればいい?昔みたいに、しっぽブンブンはできなくなってきた。でも、横たわりながらもしっぽをトントンって床に打つことはできる。

それだけでパパは気づいてくれる。「リア、ただいま」って。わたしの体はゆっくりになっても、「想い」はまだ元気。

お腹いっぱいで幸せなときは、目を細めてうとうと。家族の笑い声が聞こえると、ちょっとだけ尻尾がピクッ。それが、いまのわたしなりの“うれしい”の表現。

きっと、ことばなんていらないんだ。目に見えないけど、ちゃんと心はつながってるんだから。

シニア犬のわたしにできる、ありがとうの伝え方

最近はね、「ありがとう」っていう気持ちを、目で伝えることが多いの。

たとえば、ママがやさしく毛布をかけてくれたとき。ただ見つめるの。じーっと、静かに、まっすぐに。そのときの目の奥にあるのは、感謝の気持ち。「ありがとう、今日もだいすき」って思ってるの。

耳が遠くなってきても、肌の感触や、においで家族を感じられる。キャバリアってもともと、人が大好きな犬種でしょ?わたしもずっとそうだったし、いまもそうなんだよ。

だからこそ、いまは「そばにいる」だけでありがとうを伝えることができる。足元にそっと頭をのせる。誰かがため息をついたら、そっと近くに行く。それだけで、「わたしはここにいるよ」って伝えてるの。

動きはゆっくりでも、感情はあふれてる。それが、いまのわたしのありがとうの伝え方なんだ。

家族の気配がわたしを支えてくれる

わたしが安心できるのは、家族の気配を感じるときなんだよ。たとえ何をしてるか分からなくなっても、足音だけで「ママだ」って分かるの。

匂いもそう。お姉ちゃんの洋服の香り、パパのコーヒーのにおい。それだけで、「ああ、今日も家族と一緒にいる」って感じられる。わたしにとって、それが何よりの支え。

不安で泣きたくなる夜、パパがそっと手を置いてくれる。それだけで、心が落ち着いて、眠れるようになるの。

キャバリアって、人と一緒にいるのが好きな犬種。だから、誰かのそばにいるだけで、強くなれる。言葉は要らない。ただ、いてくれるだけでいい。

それが、わたしの生きる力になってるのかもしれない。

今日もありがとうを、生きて伝える

認知症って、正直ちょっとこわい。何が起きてるのか分からないときもある。でも、わたしは毎日、こうして生きてるのは確かなことなんだ。

今日も起きて、食べて、歩いて、しっぽを振って・・・。それって、ぜんぶ「わたし、ここにいるよ」っていうメッセージ。わたしの存在そのものが、感情のかたまりなんだと思う。

「今日もありがとう」そう思って、じっと見つめてまばたきする。私のその動きで家族が笑顔になってくれたらそれが届いてるって信じられるんだ。

お姉ちゃんがくれる笑顔、ママがなでてくれる手、お兄ちゃんが投げかけてくれるあたたかいまなざし。ぜんぶ、ちゃんと届いてるよ。

だから、これからもそばにいてね。最後のその日まで、わたしは、ずっとあなたたちと一緒にいるからね。

ことばじゃなくても、心は寄り添える

わたしは、キャバリア。シニア犬になって、認知症になっても、心はまだ生きてる。忘れることがあっても、感情はなくならない。だからこそ、あなたには信じてほしいの。

「リアは、今日も想ってる」って。

パパ、ママ、お姉ちゃん、お兄ちゃん。

今日もありがとう。そして、これからもよろしくね。ことばのないわたしだけど、心からみんなを愛してるよ。

リアより

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