お薬とクッキー、そのあとお肉も食べたシニア犬リア。今日は食べられたよ

シニア犬の日常

「今日は食べられたよ」っていう一言が、こんなにうれしくて、こんなに大切になるなんて、昔の私は思ってもみなかったんだ。

お皿いっぱいのごはんをぺろりとたいらげて、「もうないの?」って顔してた頃がなつかしいわ。今はね、一口食べられることが、それだけで“生きてる”っていう実感になるの。

昨日の私、ごはんの時間になって、まずはお薬をクッキーに包んでもらって食べたの。ちょっとだけ味がするクッキーだったから、「うん、悪くないかも」って思いながら、ぱくりと口に入れて、ちゃんと飲み込めたの。

そのあとね、お兄ちゃんが持ってきてくれたさいころ状のお肉。小さく切られて、私が食べやすいようになってて、10かけらくらいかな?ぺろぺろ、もぐもぐ、ちゃんと食べたの。

食べ終わったあと、のどがかわいてきて、自分で水飲み場まで歩いていって、お水をごくごく。それから、なんだか心がふわっと軽くなって、
私はそのまま、すやすやと眠りについたの。

何か特別なことがあったわけじゃない。でも、あと1週間といわれてから2週間たった今日も食べられたっていう、ただそれだけのことが、私にとってはとても大きなできごとだったの。そんな昨日のことを、少しだけお話しさせてね。

お薬タイムは特別な時間

「リア、お薬の時間だよ」って言われるとね、昔の私ならすぐに「やだ〜」って顔をそむけてたと思うの。だって、お薬ってちょっと苦いし、喉にひっかかるような感じがすることもあるし、とにかく「好き」って思ったことはなかった。

でも、昨日はちょっとだけ変わったの。だって、ママもパパも、私にお薬を飲んでもらうために、いろいろ考えてくれてるのが伝わってくるんだよね。前はそのまま口に入れられて、ふーんってしてたけど、今は、クッキーにくるんでくれるのよ。

それも、私が前に好きだった、あのちょっとやわらかくて口に入れると甘く香る、特別なやつ。

昨日も、お兄ちゃんが机の上で何かゴソゴソしてると思ったら、「はい、リア、どうぞ」ってそのクッキーが出てきたの。中には小さな粒が一緒にくるまれてるのが見えたけど、私はそのとき、おいしそうなにおいがしたからね、食べてみようって思ったんだ。

もしかしたら、お腹がほんの少し空いてたのかもしれないし、あるいは、お兄ちゃんが私のために用意してくれたっていうその気持ちが伝わってきたからかもしれない。

クッキーをくんくんして、ペロッとなめて、ぱくっと口に入れてみたの。

うん、思ったより悪くない。ちょっとお薬の味はしたけど、クッキーの香りで、それもふわっと包まれてたから、「いけるかも」って思って、そのままごっくん。

それだけで、お兄ちゃんがすっごくうれしそうな顔して、「リア、すごいね!ちゃんと飲めたね」って言ってくれたの。その声がね、私には何よりのごほうびだったのよ。

あなたのお友達も、お薬って苦手じゃないかな?小さな粒なのに、あんなにいやがるのって、きっと「何かイヤな記憶」とくっついちゃってるんだと思うの。

でもね、私たちも、本当はわかってるのよ。「このお薬は、私が少しでも楽に過ごすためのもの」ってこと。ただ、受け入れるにはちょっと勇気がいるだけ。

だから、クッキーと一緒だと、その勇気がちょっと出やすくなるの。好きとイヤが同時にやってくると、不思議とまあ、いいかって思えるでしょ?私たちシニア犬にも、そういう妥協って、ちゃんとできるのよ。

それにね、お薬の時間って、単なる「お薬を飲むだけの時間」じゃないの。それは、パパやママ、家族との信頼の時間でもあるんだよね。「これはリアのためだよ」っていう気持ちが、ちゃんとクッキーに包まれて届いてくる。それを感じると、「じゃあ、ちょっとだけがんばってみようかな」って思えるの。

昨日は、そんな小さな信頼の時間から始まった一日だったんだ。

お薬を飲めたっていうことは、「よし、今日はここから一歩前に進める」っていうサインだったの。だから私は、ちゃんとそれを受け取ったんだよ。

それでね、昨日はお薬を飲んだあとの私、少しだけど元気が戻った気がしたんだ。「次は何か食べようかな?」って気持ちが湧いてきたんだから、これはきっとクッキーの魔法のおかげね。

あなたも、もしお友達がなかなかお薬を飲んでくれないときは、ただ焦るんじゃなくて、「どうしたら伝わるかな?」って考えてみてほしいの。私たちはね、ちゃんとあなたの思いを受け取るから。

そして、「この人が私のことを想ってくれてるんだな」って思えたとき、ちょっとだけがんばる力が湧いてくるの。昨日の私がそうだったように、今日のあなたのお友達にも、きっとあなたの勇気が届くと思うよ。

さいころ状の10かけらのお肉がくれたもの

お薬をクッキーと一緒に食べたあと、私の心とお腹の中に、ちょっとだけ食べたいかもっていう気持ちが芽生えてきたの。

そんな私を見てたパパが、「じゃあ、これも食べてみる?」って言って
持ってきてくれたのが、缶詰のお肉だったの。いつものごはんとは違って、やわらかくて、香りも濃くて、しかもひとつひとつが小さなさいころみたいな形をしてたんだ。

私、それを見たとき、すぐにわかったのよ。「あ、これは食べやすいかも」って。パパはね、私が無理せず食べられるようにって、ちょうどいいサイズに切ってくれてたの。大きすぎず、小さすぎず、ひとくちで口に入れられるくらいのちょうどの大きさ。

お皿の上に並んだそのお肉たちを、私はそっとにおって、それから、ゆっくりと一つを口に入れてみたの。そしたらね、とってもおいしかったんだ。

正直、今の私には「うわっ、おいしい!」って元気に言えるほどの力はもうないんだけど、でも、この味なら、もうひとついけるかもって思ったの。そして、もうひとつ。そのあと、またもうひとつ。

気づいたら、10かけら食べてた。たった10かけらって思うかもしれないけど、今の私にとっては、それはもう立派なごちそうなの。

私の体はもう、そんなに多くの食べ物を必要としてない。でも、食べたいって気持ちが残ってることが、私がまだ「生きていたい」って思ってる証拠だと思うの。

さいころ状のお肉を食べるとき、パパが私のそばでじっと見守っててくれたの。「リア、えらいね」「ちゃんと食べてるね」って、声をかけてくれるそのひとことひとことが、お肉の味をもっとやさしく、やわらかくしてくれた気がした。

食べるってね、ただの栄養じゃないのよ。私たちにとっては、「生きようとする心の動き」なの。

お皿に鼻を近づけるとき、それを口に入れてみようとする瞬間、そして、飲み込んで「うん、いけた」って思えたとき。そのすべてが、私の中の生きる意志の証なのよ。

あなたのお友達も、食べる量が減ってきたかもしれないね。前みたいにモリモリ食べてくれなくなって、心配になったり、不安になったりすることもあると思う。

でもね、少しでも食べられたなら、それはすごいことなの。一粒でも、一口でも、「自分で食べよう」と思えたなら、それは奇跡みたいな一歩なのよ。

だから、どうかその一口を、大切に見守ってあげてほしい。「もっと食べてほしい」って気持ちが先に立っちゃうかもしれないけど、今の私たちは、食べたいと思えたことだけでもう十分頑張ってるんだよ。

昨日の私がそうだったように、その小さなごちそうが、心の奥に灯りをともしてくれるの。「今日も生きてよかった」って、静かに思わせてくれるの。さいころのお肉、ありがとう。そして、その一口一口を見守ってくれた家族に、もっとありがとうって思ってるんだ。

水を飲んで、すやすや眠る静かな夜

お薬をクッキーでごくんと飲んで、さいころみたいな小さなお肉を、ゆっくりゆっくり味わって食べて、私の中には、ほんのりとした満足感が広がっていったの。

「たくさん食べた」とは言えないかもしれないけど、私にとっては、しっかりと“食べた”っていう実感があったの。それだけでもう、心の中があたたかくて、やわらかくて、すーっと肩の力が抜けるような気がしたのよ。

そのあと、自然と喉がかわいてきたの。ちょっと前まで、ベッドから起き上がって水を飲みに行くのも一苦労だったのに、昨日の私は、ふらふらしながらも、ちゃんと自分で水のところまで歩いていったの。

自分の足で、行きたいところへ行けるって、それだけでなんだか“まだ大丈夫”って思えるでしょ?

ごくごく、少しずつ、冷たいお水を飲んで、口の中が潤って、のどの奥がすっとして、その瞬間、私は「あ、今日っていい日かも」って思ったの。

お腹の中にお薬とごはん、胸の中に小さな達成感、そして喉にはお水の清らかさ。それが全部そろったとき、私はゆっくりとベッドに戻って、自分から体を丸めて、すやすやと眠りについたの。

その寝顔を、パパとママが静かに見守ってるのを、私はうっすら感じてたよ。とても静かな夜だった。でも、その静けさの中には、愛がいっぱい詰まってたんだ。

あなたのお友達にも、もしかしたらこういう瞬間があるんじゃないかな。「今日は少しだけど食べたよ」「自分で水を飲みに行けたよ」
「安心してぐっすり眠れたよ」ってね。

それって、私たちにとっては、本当に特別な時間なの。たとえ短くても、たとえささやかでも、それはまぎれもない生きてるっていう証拠なのよ。

夜って、不安になることもあるの。体がだるかったり、寒かったり、苦しかったり、そんな時、ただ静かに目を閉じることしかできないこともあるんだよね。

でも、昨日の私は違った。心があたたかくて、体もほんの少し軽くて、
「今日は、いい夢が見られそう」って思えたの。

お薬も、ごはんも、水も、そして何より、大好きな家族がそばにいてくれたことが、私を深い眠りへと導いてくれたの。

ちゃんと眠れるっていうのは、私たちシニア犬にとっては、とても大きな喜びなの。だって、体と心が「安心していいよ」って言ってくれてるってことだから。

昨日の夜の私は、そんな安心に包まれて眠ったんだ。そして、朝になってまた目を開けて、「おはよう」って言えたとき、私は自分に、ちいさくよくがんばったねって声をかけたのよ。

今日も食べられた。できたことを積み重ねていく毎日

昨日の私は、クッキーとお薬を一緒に食べて、さいころのお肉を10かけら、ゆっくり味わって、それから、自分でお水を飲んで、そして、すやすやと眠った。

ねえ、これってすごくない?

たぶん、元気だったころの私を知ってる人から見たら、「たったそれだけ?」って思うかもしれない。だけど、今の私にとっては、そのたったそれだけがものすごく大きなできたことなのよ。

体が重くて、足がふらついて、ごはんのにおいがしても「うーん」って首をそむける日もあるし、お水の場所まで歩くのもしんどい日もある。ほんの少しのことで体がつかれちゃって、すぐに寝たくなる日もあるんだ。

だけど、昨日の私はそれでも「食べたい」って思ったの。「食べられるかも」って、自分の中でそっと光がともったの。その気持ちがね、私の中では“生きようとする力”そのものなの。

きっとね、あなたも何度も思ったことがあるはず。「昨日よりも食べない…「もう食べる力がないのかも」そうやって、心配でいっぱいになって、お友達の前で何度も涙をこらえてきたと思うの。でもね、そんなあなたに、今の私から伝えたいことがあるの。

「少しでも食べたなら、それは奇跡だよ」

ほんの一口でも、ペロッとなめただけでも、それは立派な“食べたい”という気持ちのあらわれなんだ。だからね、それを感じてくれたら、私たちはそれだけでうれしいの。

できたってことは、何も特別なことじゃない。今の私たちにとっては、「立ち上がれた」「水を飲めた」「目を開けた」そのひとつひとつが全部、できたことなのよ。

それをちゃんと見つけてくれて、「リア、すごいね」「今日もがんばったね」って声をかけてくれるたび、私の中にポッと灯りがともるの。

あなたの声が、私を明日に運んでくれるし、あなたの手が、私を支えてくれる。そしてね、あなたの存在が、私に「まだここにいたい」と思わせてくれるんだ。

だからね、私は今日もできたってことを重ねたいって思うの。

昨日よりちょっとだけでもいい。またクッキーが食べられたら、それでいい。お水を飲んで、うとうとできたら、それでいい。それが、私たちシニア犬の生きるってことなのよ。

そしてそれは、あなたと一緒にいるからこそ、できることなんだよね。

そばにいてくれてありがとう。気づいてくれてありがとう。焦らず待ってくれてありがとう。あなたのその優しさが、今日も私を生かしてくれてる。

今、あなたのお友達がもし「食べたよ」って見せてくれたなら、どうかそれを、全力で喜んであげてね。それは生きる意志の表れだから。そしてね、それはがんばってるよっていうメッセージなんだと思うんだ。

私は、まだ生きてる。今日も、できたを一つ、また一つと重ねている。それが私の、今できる精いっぱいの毎日。そして、そんな毎日を、家族やあなたが見てくれてることが、何よりの幸せなんだよね。

リアより

コメント