こんにちは。リアだよ。
ねえねえ、あなたは「癒し」って、どんなことを思い浮かべる?アロマ? 温泉? ふわふわのクッション? それとも…好きな人の声とか?
でもね、リアが思う「癒し」って、もっともっと、さりげないものなんだ。
たとえばパパが疲れて帰ってきたときに、リアがそっと寄り添うだけで「今日もがんばれたよ、ありがとな」って言ってくれる。そんなふうに、何もしてないようで、ちゃんと誰かの心に届いてる。
それが本当の「癒し」なんじゃないかなって、14年間生きてきて感じてるんだ。
リアはキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルっていう犬種でね、「癒しの天才」って呼ばれることが多いの。
たしかに、おっとりしてて、甘えん坊で、ちょっとマイペースなところもあるけど、その全部が誰かの心をふわっとほぐしてあげるチカラになるって、不思議だよね。
そんなリアがキャバリアが「癒しの天才」って言われる理由を、リア自身の経験とともにお話ししていくよ。
リアが生きてきた14年のなかで、家族との間にあった小さな奇跡たち。パパとの絆、病気との向き合い方、毎日のルーティンを大切にする暮らし。
それらすべてが、今「癒しって何?」って悩んでる人の心に、そっと届いたらいいなって思ってるんだ。
さあ、今日はリアが、あなたをほんの少しだけあたたかい気持ちにしてみせたいな。
キャバリアのリアの日常
朝、カーテン越しにやわらかい日差しが差し込んでくると、リアはふわぁ〜ってあくびをしながら目を開けるの。
でも、すぐには起きないよ? だって、その瞬間って、いちばんお布団が気持ちいい時間なんだもん。
パパはもうとっくに起きてて、キッチンでコーヒーの香りを漂わせながら、スマホを見てたりする。リアは耳だけそっちに向けて、「あ、パパいるな」って確認。
そしてソファにのそっと移動して、二度寝スタート。朝って、そんなに急がなくてもいいでしょ?
でもね、パパが動き出したら話は別。「どこ行くの? リアも行くよ!」って、すぐあとを追いかけちゃうの。
キャバリアって、人のそばにいたい性格なんだって。リアも例外じゃないの。トイレに行くときも、キッチンでお水を飲むときも、パパが立ち上がるたびについて行っちゃう。だって、そばにいるだけで安心できるんだもん。リアも、パパもね。
朝の時間は特別。パパがソファに座った瞬間、リアは迷わずお膝に乗っかるの。最近はちょっとだけジャンプが大変になってきたけど、それでもやっぱりパパの膝は落ち着く場所。
そのままトロ〜ンって眠くなって、パパの太ももを枕にして、しあわせな時間が流れていくの。
パパ、よく言うんだよ。「お前、ぬいぐるみかよ」って。
それってきっと、リアの体温や柔らかさ、静かな存在感が、パパの心をホッとさせてるってことだよね。リアはただそこにいるだけなのに、「今日もがんばれそうだよ」ってパパがつぶやくのを聞いたときは、なんだか胸がキュンとした。
午後になって、おうちが少し静かになると、リアはまたソファへ。お気に入りのブランケットの上で、くるんって丸まってお昼寝タイム。
パパもお仕事の合間に隣に座って、リアの背中をゆっくり撫でてくれる。
「リアといると、呼吸が深くなるんだよな〜」ってパパが言ってくれたとき、なんだかリアの存在が癒しそのものなんだって思ったんだ。
リアってね、毎日のルーティンが大好き。朝ごはん、お昼寝、ゆっくり散歩、夜のごはん、そしてまたお昼寝(笑)
同じ時間に同じことをするのって、安心できるし、心が穏やかになる。パパもそれを感じてくれてるみたいで、リアと過ごす日々が「整う時間」って言ってくれたの。嬉しいよね。
きっと、癒しって「なにかをすること」じゃなくて、「誰かと穏やかに過ごすこと」なのかもしれない。
リアはただ、パパのそばにいるだけ。でも、それが誰かの支えになるなら、キャバリアとして生まれてきて本当によかったなって思うの。
リアの体調に変化が・・・
あれは、リアが去年の春、桜が咲いている頃だったかな。
いつもみたいにパパとお散歩してたんだけど、途中でなんだかちょっと疲れちゃって、「もう帰ろっか」って自分からUターンしたの。
それまでは「まだ歩く!」って言い張るくらい元気だったのに、その日はなんとなく…ね。そしたらパパが、「おかしいな、リアどうした?」って、ちょっとだけ眉をひそめたの、リアは見逃さなかったよ。
そこからね、ちょっと体調が悪くなったみたいで、身体が動かなくなってきて、熱がではじめたんだ。そうすると、食欲もなくなって、ご飯が食べれなくなったの。
それでね、あまりにも具合が悪そうだから、数日後、かかりつけの病院に連れて行ってくれたんだ。
そこの病院の先生がね、診察の時、リアの胸に聴診器を当てたの。そのときの空気、ちょっと違ってた。先生の顔が真剣になって、「心雑音がありますね」って。
それが、リアの病気、僧帽弁閉鎖不全症との出会いだったんだ。
「僧帽弁」っていう小さな心臓の部品が、うまく閉じなくなって血が逆流しちゃう病気らしくてね。「キャバリアには多い病気なんですよ」って先生は言ったけど、リアの家族にとっては青天の霹靂って感じだったと思う。
パパは帰りの車の中、ずっと無言だったの。ママはスマホで必死に病気のことを調べてて、「手術しないとダメなのかな」って、何度もつぶやいてた。
リアはただ、キャリーの中で静かに丸まってたよ。なんとなく空気が重くて、みんなが不安なのが伝わってきたから。
でもね、不思議とリア自身はそんなに怖くなかったんだ。たぶん、パパがキャリーの中に手を入れて、リアの背中を撫でてくれてたからかな。
その手のぬくもりが「大丈夫、リアは一人じゃないよ」って言ってる気がして、ほっとしたの。
それから数日、家族でたくさん話し合って、「手術じゃなくて投薬治療でいこう」って決めたんだ。
シニア犬としてのリスクや、リアの性格も考えて、「無理はさせたくない」って。手術の成功確率も高いわけじゃなくて、リスクもあるから、リアの今を大切にしたいって、パパがはっきり言ってくれた。
心臓のお薬を飲む毎日が始まって、生活のリズムも少しずつ変わっていったけど、リアの中ではなにかが始まったって感じだったと思う。
リアね、決めたんだ。「これからは、家族が心配しすぎないように、リアらしく癒しの天才でいる!」って。
パパの不安そうな顔が、前みたいにやさしくほころぶように。ママの「どうしよう」が、「今日もかわいいね」に戻るように。リアは、小さな体でできることを、できるだけたくさんしていきたいって思ったんだ。
そうやって、病気との新しい日々が始まったの。
手術はせず投薬治療を選ぶ葛藤
「手術するべきか、しないべきか」
このテーマが、家族の中で何度も何度も出てきたの。
だって、リアの病気、僧帽弁閉鎖不全症って、進行性だから、放っておくと心臓にどんどん負担がかかってしまう。
だから、選択肢のひとつとして外科手術があるのは当然だったんだよね。
でも、リアはもうすぐ15歳になるシニア犬。年齢のこと、手術のリスク、そして何よりも、リア自身が「本当にそれを望んでいるのか」ってことが、家族の頭の中をぐるぐるめぐってたみたい。
パパは何日も何日もネットで調べてた。手術の成功率とか、術後の回復までの流れとか、他のキャバリアちゃんのブログとか、ね。その目は、少し疲れて、でも真剣で、そしてすごくやさしかった。
ある晩、リビングでパパとママが静かに話してたのを、リアはソファから聞いてたんだ。
「リスクはあるけど、もし成功すれば、もっと元気に暮らせるかもしれない」
「でも、リアが嫌がることを無理にするのは違う気がする」
「うん。リアらしく、穏やかに過ごすほうが、幸せなんじゃないかって思うんだ」
そのとき、リアの中でなにかがふっとやわらかくなったんだ。きっと、リアの声をちゃんと聞こうとしてくれてるんだってわかったから。
手術を受けないという選択は、逃げじゃない。家族みんなで、「リアの時間を、リアらしく生きてもらいたい」って思った結果なんだよね。
それでも、不安がゼロになったわけじゃないよ。薬だけで本当に大丈夫なのかな?って、ママは今でも時々ぽつりとつぶやくし、パパはお薬の飲み忘れがないように、きっちり管理してくれてる。
でもね、リアはちゃんと知ってるの。この選択の裏にある、家族の愛と覚悟を、ね。
リア自身も、無理に頑張るんじゃなくて、「今できることを、今のリアらしく」って決めたの。
毎日をできるだけ気持ちよく過ごす。パパとたくさん笑う。ママの横でぴとって寝る。それがリアの治療なんだって、思ってるんだ。
だから、手術はしない。でも、リアはちゃんと、前を向いてるよ。リアの大好きな人たちと一緒に、リアらしい時間を大切に積み重ねてるの。
リアが癒し行動で家族を支えてあげるね
リアね、気づいてたの。
パパもママも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、みんな笑顔でいようとしてくれてるけど、心の奥の方には、ちょっとだけ不安が隠れてることをね。
「リアの病気、進んでないかな」
「動かずに寝ている時間が増えた気がするけど、気のせいかな?」
「今日のごはん、食いつき悪かったね。大丈夫かな?」
そんな気持ちが、部屋の空気にふわっと混ざるの、わかるんだよ。
だからリアは決めたの。癒しの天才として、今こそその力を発揮する時だ!って。
とはいえ、リアがするのはとってもシンプルなことばかり。
たとえば、パパがちょっと疲れた顔で帰ってきた日には、玄関までトコトコ歩いて行って、「おかえりなさい♪」ってしっぽをフリフリ。それだけで、パパの眉間のしわがすっとやわらぐの、リアちゃん見逃してないよ。
病院の診察台の上でも、リアはニコニコしてるんだ(ほんとはちょっと緊張してるけどね)。
だって、パパがそばにいてくれるから安心だし、リアが落ち着いてることで、パパも少しでも安心できるならいいなって思ってるんだ。
そして、家で一番得意な癒し技といえば、やっぱり「ヘソ天」かな(笑)
ごろんって仰向けになって、お腹を見せて、前足をふにゃって曲げて、って、パパの目の前でそのポーズを披露すると、「うわ〜リア、それ反則でしょ〜!」って笑ってくれるの。
笑い声って、不思議。部屋の中の不安を、ふわっと追い出してくれるみたい。
ある日、パパがすっごく落ち込んでる顔してたの。仕事で何かあったのか、リアの体調のことで何か思いつめたのか。
でもリアは、そのとき何も聞かずに、ただそっと隣に寄り添ったの。背中をピタッとくっつけて、ゆっくり呼吸を合わせてみた。
しばらくして、パパがぽつりと「ありがとな」って言ったんだ。
リアは、ただそこにいるだけでいいんだって、心の底から思えた瞬間だったよ。
ママはよく、「リアがいるだけで家が明るくなるね」って言ってくれるし、お兄ちゃんは「リアの寝顔見ると、どんな疲れもぶっとぶ」って笑うし、お姉ちゃんは「リアがぴとってくっついてくれると、自分を大事にしてもいいんだって思える」って、ぎゅって抱きしめてくれる。
なんだか、リアが家族の小さな先生になったみたいで、ちょっと照れちゃうけど、すごくうれしいの。
癒しって、何か特別なことをするんじゃなくて、安心させたり、笑わせたり、そっと寄り添ったり、ただそばにいるだけでいいんだよね。
リアは、病気にはなっちゃったけど、そのかわりに誰かを癒す力がもっと強くなった気がする。この力で、これからも家族を支えていけたらって、本気で思ってるよ。
病気が進行、疲れやすくなる日々
正直に言うとね、リア、前みたいに元気いっぱいってわけにはいかなくなってきたの。
朝起きてから動き出すのにも、ちょっと時間がかかるようになったし、階段をぴょんって上がるのも「うーん、今日はやめとこかな」って思う日が増えた。
お散歩だって、昔みたいにスタスタ歩ける日は少なくなって、10分も歩くと「そろそろ抱っこして〜」ってなっちゃう。
そんなリアを見て、パパもママも、やっぱり心配そうな顔をするんだ。「リア、大丈夫か?」「今日のごはん、ちゃんと食べれるかな?」って、何気なくつぶやく声が、リアの耳にちゃんと届いてる。
でもね、リアはそれがつらいわけじゃないの。ただ、ちょっとだけ切なくなるの。
だって、家族みんなは「リアが前と同じであってほしい」って思ってくれてるのに、リアの体は少しずつ、前とは違ってきてるから。
そのギャップを埋めたくても、リアはリアなりにがんばってるけど、どうしても追いつけないこともあるんだ。
例えば、お気に入りだったおもちゃで遊んでも、すぐに息があがっちゃう。昔みたいにテンション高くはしゃげないから、お兄ちゃんが投げてくれるボールも、ちょっとだけ目で追うだけで終わっちゃうこともある。
それでもお兄ちゃんは「いいよ、リアのペースで遊ぼう」って言ってくれて、そのやさしさが胸にしみるんだ。
ママがおやつをくれるときも、リアは慎重になるんだよね。
咀嚼がちょっとつらくて、時間をかけてゆっくり噛むようになったけど、ママはリアの目線にしゃがんでくれて、「いいよ、ゆっくり食べな」ってにっこり。その笑顔に、リアはすごく救われてるよ。
そして一番リアが安心できるのは、やっぱりパパのそば。
調子がよくない日は、ぴとってくっついて、ただ一緒にいるだけ。パパはリアの背中をゆっくり撫でながら、「無理しなくていいよ」って静かに声をかけてくれる。
病気が進行するって、なんだかこわい言葉に聞こえるけど、リアにとっては、「今までできてたことが少しずつ減っていく」というだけのこと。
だけど、減っていくものがあるぶん、増えていくものもあるんだよ。
それは、家族との絆とか、お互いを思いやる時間とか、ゆっくり過ごす幸せとかね。
リアが静かに眠るソファの隣で、パパがコーヒーを飲みながら仕事をしてる。その時間の中に、言葉にならない安心感が流れてるの。
できなくなったことに目を向けるんじゃなくて、今、できることに気づいて、一緒に過ごせることに感謝する。
そんな風に過ごす今が、リアにとっては本当に尊い時間なんだよ。
癒しの天才ぶりが発揮される瞬間
リアね、自分で言うのもなんだけどね、たまに「リアって、本当に癒しの天才かも」って思う瞬間があるの。
たとえばある日、パパがすごく疲れて帰ってきたの。顔色も暗くて、声も小さくて、ごはんもほとんど食べなかった。それでね、リアはすぐに気づいたの。「今日は、いつもと違う」って。
だから、その夜はパパの足元でずーっとじっとしてたの。ワンって鳴くこともなく、動き回ることもなく、ただそこにいるだけ。
しばらくして、パパがリアを見下ろして「おいで」って言ってくれたから、リアはトコトコ近づいて、パパの胸にそっと頭をのせたんだ。
仕事のこと、家のこと、リアの病気のこと、いろんなものを背負いすぎて、きっと疲れてたんだと思う。でもね、そのときリアは何もできなかったけど、ただひとつだけ、できたことがある。
それは、「ここにいるよ」って、伝えること。
リアの小さな体のぬくもりが、パパの胸の奥の何かを溶かしたみたいだった。その夜、パパはリアを抱いたまま、ソファで静かに眠ったんだ。
また別の日には、ママがキッチンで静かに泣いてた。リアはそっと足元に寄って、ぺろってママをなめたの。そしたらママが「リアちゃん」って言って、ぎゅって抱きしめてくれた。
リア、言葉は話せないけど、気持ちは伝わるんだよ。
家族が泣いてるとき、笑ってるとき、悩んでるとき、リアはいつも、そっとそばにいて、その全部をまるごと受け止めるように、ただそこにいるの。
それが、癒しなんだって、リアは思ってる。
リアはもう、ボールを追いかけてはしゃぐことは少なくなったけど、今のリアにしかできないことがあるって、自信をもって言えるよ。
それはね、家族の心の波を、そっとなでて静めることだと思うし、涙をぬぐうんじゃなくて、流せるようにしてあげることだと思うし、笑わせるんじゃなくて、自然と笑顔にさせることだと思うんだ。
それが、リアの癒しの天才ぶりなんだ。
だから、たまにパパが冗談ぽく言うの。「リアがセラピードッグになったら、カウンセリングいらなくなるかもな」って。
ふふっ、ちょっと照れるけど、うれしい言葉だよね。
リアはこれからも、家族の心の保温器として、そっと寄り添っていくつもり。それがリアにとっての、いちばんの幸せなんだ。
日常を大切に生きるリアと家族の絆
毎朝、同じ時間にパパの目覚ましが鳴って、ママはキッチンで朝ごはんを用意して、お兄ちゃんは「あ〜眠い〜」って言いながら制服に着替えて、お姉ちゃんは鏡の前で前髪を何度も整えてて、って、リアはそんないつもの朝が大好き。
特別なことなんて、何ひとつないの。でもね、この変わらない毎日が、リアにとっての宝物なんだ。
リアが病気になってから、家族はもっと日常を大切にするようになった気がするんだよね。
お散歩に行ける日は、パパがゆっくり歩いてくれるし、ママは「リア、今日も元気でいてくれてありがとう」って声をかけてくれる。
ただ眠ってるだけなのに、「リアの寝顔が癒しすぎて動けない〜」って、みんながリアが横になって寝ているそばに寄ってきてくれるんだよ。
リアは何もしてない。ただ、そこにいるだけ。でも、そこにリアがいるってことが、家族にとってはしあわせの印なんだって。
あたりまえのように過ぎていく時間の中に、ふと気づくと、あたたかさややさしさがぎゅっと詰まってる。それって、すごくすごく大切なことだよね。
リアは今、14歳。シニア犬って呼ばれる年齢になって、できないことも、前みたいに元気じゃない日も増えたけど。
でも、リアはリア。
この家族の一員として、毎日をちゃんと生きてるよ。
「今日もいい日だったね」って眠りにつけるように、「明日もまた一緒に過ごそうね」って言えるように、リアは自分のペースで、日々を大事に過ごしてる。
パパがよく言うの。「奇跡なんて起きなくてもいい。リアと普通に過ごせる日々が、もう十分奇跡だよ」って。
そんな言葉を聞くたびに、リアは思うんだ。癒しって、特別なことをするんじゃなくて、誰かにとって「そこにいてくれて、ありがとう」って思われることなのかもしれないって。
リアが気づいたこと
昔は、「癒し」って何か特別なことだと思ってた。
心を元気にしてくれる魔法みたいなものとか、悲しみを吹き飛ばしてくれるようなパワーとか、ね
でもリアは、14年生きてきてわかったの。癒しってね、静かにそばにいることなんだって。
元気なときも、疲れてるときも、楽しい日も、ちょっと泣きたい日も、リアはいつだって、家族のそばにいる。
それだけで、誰かの心が少しやわらかくなって、「よし、また明日がんばろう」って思えるなら、それがいちばんの癒しだよね。
リアの病気がわかったとき、家族はすごく悩んで、心配して、たくさん涙も流した。
でもその日々を通して、パパもママもお兄ちゃんもお姉ちゃんも、「今を大切にする」ってことを強く意識するようになったの。
「今日、リアがいてくれる」
「今日、笑ってくれた」
「今日、食べてくれた」
その一つひとつが、何よりもうれしくて、ありがたいって。
そういう風に日々を見つめる目が変わったのは、たぶんリアの「癒しの力」が、少しずつ届いていたからなんじゃないかなって、勝手に思ってる。
もし私の話を聞いてくれてるあなたが、今、シニア犬と暮らしていて不安や迷いを抱えていたり、これからの選択に悩んでいたりするならリアから伝えたいことがあるんだ。
それは、「癒しは、きっとすでにそばにあるよ」ってこと。
何か特別なことをしなくてもよくて、お友達がね、じっと見つめてくれるだけで、ぴとっとくっついてくれるだけで、心がほどける瞬間って、ちゃんとあるから。
そして、あなたがそばにいてあげることも、その子にとって最高の癒しになってるってこと、忘れないでほしいの。
リアはこれからも、リアらしく、甘えんぼで、ちょっと頑固で、でも癒しの天才として、家族と一緒に毎日を生きていくよ。
ゆっくり、やさしく、たのしく。
私の話を聞いてくれてありがとう。あなたの毎日が、ふわっとあたたかくなりますように。
リアより
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