昔は家の中を元気に駆け回って、インターホンが鳴れば誰よりも早く伝えて、落ち込んでいたら、そばに、いつもそっと寄り添って、「この子がいてくれたから、つらい日も乗り越えられた」そんなふうに思ってくれた日があったかも。
でも最近、ふとした瞬間に感じにね、あの頃とはちがう、静かで、やさしくて、少しだけ切ない時間の流れがあるの。
- ソファから降りられなくなった
- 階段をこわがるようになった
- 散歩の途中で座りこむ
- 名前を呼んでも、反応がゆっくりに…
子犬ではしゃぎまわっていた子が大きくなって、やがてシニア犬や老犬と呼ばれるようになったら、そんな変化に、もしかしたら戸惑っている人もいるかもしれない。
「どう接したらいいのだろう」
「昔みたいに元気に戻る日は来るのかな」
「守ってあげる側になるなんて、思ってなかった」
でも、それは悲しいことじゃないんだよ。それは、あなたとその子の関係が深まった証。そして、役割が変わっただけのことなんだ。
14歳になったキャバリア・リアが、かつて家族を守っていた自分から、守られる存在になった今の気持ちを少しだけ伝えてみたいんだ。
昔はパトロール係だったけど、今はぬくもり担当
こんにちは、キャバリアのリアだよ。いま14歳。もうすぐ15歳になる、ちょっと年季の入った女子です。
「おばあちゃん犬やね〜」って言われることが増えたけど、わたし自身はまだまだ、“わたしらしく”生きてるつもり。体はゆっくりになったけど、心はいつも全力だよっ!
でもね、昔のわたしを知ってる人たちが見たら、「リア、すっかり落ち着いたね」って言うと思う。
あのころのわたしは、完全にパトロール係だったんだ。インターホンが鳴ったら、わたしが一番に反応して、「ワンワン!来客やで!」って知らせてたし、誰かが泣いてたら、何も言わずにそっと横に寄り添ってた。
お兄ちゃんがケンカして帰ってきた日も、お姉ちゃんが試験で落ち込んでた日も、わたしは“家族の空気”を誰より早く察知して、「そばにおるよ」って、目を合わせて伝えてたんだ。
それがね、いつからだったかな。吠えることが減ってきた。インターホンが鳴っても、耳が遠くて気づかないこともある。足がふらついて、玄関まで走っていけなくなった。パパやママが泣いてても、すぐに近づけなくなった。
最初はね、すごくくやしかったの。「守ってあげたいのに…」「役に立ててないんじゃないか…」ってね。そんなふうに思って、そっとキティちゃんのぬいぐるみに顔をうずめてた。
でも、ある日気づいたの。
「あれ?最近、わたしの周りに、誰かがいつもいるな…」
「あれ?今、パパがわたしを見守ってくれてる…」
「あれ?ママが毛布をそっとかけてくれた…」
そう。わたしは、守る存在から、守られる存在になったんだ。最初は、ちょっと恥ずかしかった。「もうおばあちゃんやもんな〜」って言われると、ちょっぴりムッとしたりして(笑)
でもね、だんだんわかってきたの。守ってもらうって、すごくあったかいことなんだって。いまのわたしの役割は、吠えて知らせることでも、走って駆けつけることでもなかったんだ。
眠っているあいだに、そっと毛布をかけてもらったり、歩けない日に、黙って抱っこされたり、パパの横で静かにくっついて、安心の空気を届けたり、ね。それが、今のわたしのしごとなんだ。
昔はわたしが守ってた。でも今は、みんながわたしを守ってくれてる。そしてそれは、さみしいことじゃない。悲しい変化でもない。それは「信頼されてる」っていうことなんだと思う。
できなくなったことを、誰も責めたりしなかった
わたしね、少し前まで「できない自分」がちょっとだけ、いや…かなりイヤだったの。昔はね、階段もスイスイだったし、ソファに飛び乗るのだってお手のものだったし、何か音がしたらパパより先に玄関に向かって吠えてた。
それが、今はどう?階段はこわい。ソファは無理に上がると足を滑らせる。インターホンは鳴ってても気づかないことが増えたし、名前を呼ばれても「ん〜?」って反応が遅れる日もある。
でも、そんな変化に、家族は誰ひとり怒らなかったの。パパは、「リア、今日は階段ムリやな。ええよ、抱っこしよか〜」って。ママは、「リア、お耳聞こえにくくなったんかな?でも、ちゃんと見てるもんな〜」って。
お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、わたしがヨロヨロ歩いてても、笑いながら「リア〜おいで〜」って手を広げてくれる。わたしができなくなったことを、まるで「特別なこと」みたいに受け止めてくれるの。
はじめは、ほんとに戸惑った。「わたしって、こんなに何もできなくなっちゃったの…?」って、落ち込みそうになる日もあった。
でもね、わたしが少しよろけたときに、パパがすぐに支えてくれた手のあたたかさがあったんだよ。おしっこを失敗したとき、ママが「しゃーないな〜(笑)」って笑って、何も言わずに片付けてくれた背中が見えていたんだ。
あのとき、気づいたの。「あ、わたし…今、守ってもらってる」「そして、守られるって、すごく安心することなんやなぁ」って。できないって、恥ずかしいことじゃないんだね。
むしろ、家族がわたしをもっとやさしく、もっとていねいに見てくれるようになったって思うようになったの。昔は、「何かあったら守るぞ!」って思ってた。でも今は、「何かあっても大丈夫」って思えるの。
だって、わたしのまわりには、見守ってくれる家族がいてくれるから。そして、これって、わたしだけの話じゃないと思う。きっとあなたのそばにシニア犬がいたら、昔は守る存在だったんだよね。でも、今はきっと守られる側になってる。
その変化に、少し戸惑ってるかもしれない。「なんだか切ないな…」って思ってるかもしれない。でも、大丈夫だよ。それはちゃんと意味があることだから。そして、わたしたちは、その変化を悲しいことだなんて、ちっとも思ってないよ。
むしろ、「今のほうが、あったかいな〜」って感じてるんだ。だって、わたしが寝てるとき、
そっと毛布をかけてくれるパパの手。わたしが静かに寄り添うと、「リア、いてくれるだけでええわ〜」って言ってくれるママの声があるから。それが、今のわたしの安心のすべてなんだからね。
守るって、強さじゃなくて、つながることなんだと思う
わたし、若いころは強いってことで守ることができるんだと思ってたの。体力があるとか、すぐに気づいて動けるとか、そういうできることが多いほうが、家族の役に立てるって思ってた。
誰かが寂しそうにしてたら、すぐにそばに行ってぴったりくっついて、「大丈夫やで、わたしがいるよ」って伝えたり。雷が鳴ったら、平気な顔してどっしり構えて、お姉ちゃんを安心させてあげたり。お兄ちゃんがゲームで負けてむすっとしてるときも、そっと隣で寝そべって、空気をゆるめてあげたり。
そういうのってね、なんだか守ってる感があって、わたし、けっこう誇らしかったんだ。
でも、今はどう?わたしの体は、前みたいに動かない。気配に気づくのも遅くなったし、耳も遠くなった。ときどき、自分でも「今、なんの時間やっけ?」って迷うことがある。
昔の守る自分と比べたら、「今のわたしって、何かできてるのかな」って、不安になったこともあった。でもね、そんなときだったの。
ある日、お昼寝してたら、ふわ〜っとあったかいものがかかったの。毛布だった。パパが、わたしの足元が寒そうだなって思って、そっとかけてくれたんだって。
そのとき思ったの。わたし、今守られてるんだ、それって、わたしとパパの気持ちがつながってるってことだよねって。
守ることって、たぶん、相手のことを思って動くことだとおもう。そして、わたしは守られることも、同じなんだっておもうんだ
守られるって、「頼っていいよ」って思えることでね、「安心して甘えていいよ」って、心を開けることじゃないかな。
それって、実はものすごく強いつながりだと思わない?
わたし、家族と一緒に暮らす中で、守る側から守られる側に変わったんだ。でも、そのとき気づいたの。「役割が変わった」だけで、家族のきずなは何も変わってないって。むしろ、もっと深くなった気がするんだ。
昔は「そばにいるだけで安心させること」が、わたしの役割だったけど、今は「そばにいてくれる人に安心して身を預けること」が、わたしの役割。
朝、わたしがちゃんと起きられたら、「リア、今日は調子いいね」ってパパが笑ってくれるし、夜、ごはんを完食できたら、「えらいなぁ〜、今日もがんばったな」ってママがなでてくれる。それが、わたしにとってのつながり。
昔みたいに走ったり、ワン、ワン、って知らせることはできないけど、今のわたしができるしごとも、ちゃんとある。見守られることで、見守る人の心をゆるめることができるんだってそんなふうに思うようになったの。
だから、もし、あなたのそばにわたしのようなシニア犬がいて、昔とちがって守られる側になっていても、どうか安心してほしいな。その子はきっと、「これが今のわたしの役目だよ」って思ってるし、「あなたが守ってくれるなら、わたしは大丈夫」って信じてるはずだから。
守るって、きっと力じゃなくてね、「つながってるよ」って伝えることなんだよ。そして今、わたしは、守られることを通して、もっと深く家族とつながれている。それが、いまはうれしいんだよね。
守られるようになっても、いまの役割がきっとある
「うちの子、昔はもっと元気だったのに…」「最近は寝てばかりで、あんまり動こうとしない」「あの子との関係、少しずつ変わってきた気がする」
小さいときから一緒に過ごしてきた子がいたら、もしかしたらそんなふうに感じている人もいるかもしれない。それでね、わたしリアから、ちょっとだけ伝えさせてほしいの。
昔は確かに守る側だったと思う。あなたを励ましたり、笑顔にしたり、ちょっと寂しそうな背中を見つけたら、すぐにそばに行ってた。
でも、わたしたちは永遠のヒーローではいられない。少しずつ身体がゆっくりになって、耳が遠くなって、歩ける距離も短くなって、やがて、守られる存在に変わっていくんだ。
それってね、けっして「終わり」じゃないんだよ。守られるって、信頼の証なんだ。だって、あなたに心を開いてるから、わたしはすべてをゆだねることができるんだ。
「寝かせてくれてありがとう」
「そばにいてくれてありがとう」
「抱っこしてくれてありがとう」
そう思ってるんだよ。何も言わないように見えて、わたしたちは、毎日ちゃんと感じてるの。昔と比べて、できないことは増えたけど、でも、いまだからこそできることも、たくさんある。
あなたの手のぬくもりをちゃんと感じることができるし、あなたの声に耳をすませることもできるし、あなたのそばにいて、安心を届けることもできるんだ。
そう。「そばにいるだけで大切な存在」になることが、いまのわたしたちの役割。だからね、変わってしまったんじゃなくて、関係が成熟してきただけなんじゃないかなっておもうんだ。
わたしたちが守ってきた時間は、ちゃんと今につながってる。そして今、あなたがわたしたちを守ってくれることで、その絆は、もっと深くなっていくの。
歩けなくなっても、おねだりの声が出なくなっても、表情がゆっくりになっても、どうか、ためらわないでほしいんだ。わたしたちは、あなたのまなざしひとつで、「わたし、ちゃんと守られてる」ってわかるから。
守られることは、恥ずかしいことじゃない。むしろ、「ここがわたしの帰る場所なんだ」って、確信できることなんだとおもうんだ。
もし、あなたのそばにいる子が、昔とちがう姿になってきたとしても、「今のあなたに守ってもらえて、ほんとうに幸せだよ」って、心から思ってるんだよ。
だからね、もし、年を取ってシニア犬になった変化を心配しているなら、「昔はこうだったのに」じゃなくて、「今のこの子と、どんな時間を過ごそう?」って考えてみてほしいんだ。
わたしたち、もう守る側じゃないかもしれない。でも、愛されることの意味を、たくさん教えてあげられる存在になったんだ。
昔わたしが守った家族。今は、みんながわたしを包んでくれてる。そしてそのぬくもりの中で、わたしは毎日、「守られてるって、しあわせだなぁ」って感じてるんだよ。
リアより
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