こんにちは。リアだよ。
「今日も目が覚めたね」って、パパがそっと私の耳元でささやいてくれる朝を、昨日も迎えることができたんだ。その声を聞くたびに、私は「またこの日がきたんだな」って、ほんのり嬉しくなるの。
先生に「あと1週間くらい」と言われたのは、もうずいぶん前のこと。でも私は、今もこうしてちゃんと目を開けて、あなたに話しかけられてる。それってね、静かだけどすごく大きな奇跡だと思うの。
走ることはもうできないし、前みたいにたくさん食べられるわけでもないけれど、ひとくちのおやつや、そよ風の中の小さな散歩、そしてあなたのぬくもりがそばにあるだけで、私の一日はあたたかくなるのよ。
今日も私は、そんな小さなできたことを胸に刻んで、ゆっくりと、でも確かに生きてる。この静かに続く奇跡の時間が、あなたにもそっと届きますように。
「今日も目が覚めたよ」生きさせてくれてありがとうと思った朝

朝って、私にとって一番の確認の時間なの。体が重くて、目を開けるのにも少し時間がかかるようになったけれど、それでも、パパの声が聞こえた瞬間、「あ、今日もまた目を開けよう」って、体の奥からスイッチが入るんだ。
目覚めるって、ほんとうに不思議なこと。夢と現実の境目を、ふわりと漂ってるみたいな感覚。その境界を越えるとき、私はいつも小さく深呼吸をするの。「今日も、生きてる」って、そっと自分に言い聞かせるようにね。
パパの声は、私の目覚まし時計みたいなものなのよ。朝の光がまだやさしくて、部屋の中がほんのり明るくなるころ、「リア、おはよう」って声がすると、私はその声のほうに意識を向けるの。目が合うと、パパはいつも笑ってくれる。それだけで、私の心の奥にあたたかい火が灯るの。
パパもママも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、私が朝を迎えるたびにまるで大きなお祝いのようによかったって、息をつくように微笑むの。私はその表情が好き。だからこそ、今日も起きてよかったって思えるの。
あなたのお友達も、もしかしたら今、毎朝のお目覚めがちょっとずつゆっくりになってきてるかもしれない。でもそれは、何も悲しいことじゃないんだよ。それだけ、生きてきた時間がたくさんあるってことだもの。たくさんの朝を迎えて、たくさんのおはようを聞いてきたからこそ、この一つの朝に込められる想いが、ぎゅっと深くなるのよ。
私のようにあと1週間といわれたシニア犬にとって、今日も目が覚めたというのは、ただの通過点じゃないの。それはもう、立派な生きるっていう行動のひとつ。呼吸をして、まぶたを開けて、あなたの姿を確認する。その一つひとつが、私たちの毎日のなかでとても大切なしるしなんだよね。
朝、目を開けるたびに、私はまだここにいてもいいんだなって思うの。そして、その朝をあなたと一緒に迎えられることが、どれだけありがたいかを、全身で感じるのよ。
今の私は、目が覚めたらすぐにごはんをねだったり、お外行こう!ってはしゃいだりはしない。でもね、あなたの声を聞いて、あなたの手のぬくもりを感じて、おはようって気持ちを伝えるように、そっとまばたきをするの。
それだけで、私はじゅうぶん幸せなの。
ねえ、あなたも、お友達のおはように気づいてる?大きな声じゃなくても、動かなくても、その目の奥に今日も会えてうれしいよって光が宿ってるの。それを見つけてあげてほしいな。それだけで、あなたのお友達の今日が、もっとあたたかくなるから。
私は今日も、目が覚めた。それは、当たり前のようでいて、とても大きなことだと思うんだ。昨日とは違う今日を、また一緒に過ごせることがね。それが、今の私にとっての生きるっていうことなんだよね。
ほんの少しの焼き芋のおいしさがもたらしたぬくもり

昨日の夕方、空がほんのりオレンジに染まりはじめたころだったかな。お部屋の中に、ふわぁっと甘くて香ばしいにおいが漂ってきたの。その瞬間、私の鼻がぴくんって反応したんだよ。
そう、それはやきいものにおい。私、昔からやきいもが大好きだったの。パパたちが秋になると買ってきてくれるあのホクホクした黄色いかたまり。お口に入れた瞬間、じゅわっと甘みが広がって、やさしいぬくもりが体の中に届くの。
でも最近は、食べ物のにおいがしても、興味が持てなかったり、お腹が不安定で、においを嗅ぐだけで「うーん、やめておこうかな」って思ったりすることも多かったの。だから正直、やきいもを目の前にするのも、ちょっぴり久しぶりだったのよ。
だけど昨日は違ったの。
お姉ちゃんがそっとやきいもをお皿にのせて、私の前に置いてくれたの。「リア、ちょっとだけ食べてみる?」って、やさしい声で話しかけながら。その声と、あのあったかくて甘いにおい。私の中で、なにかがふわっとほどけたみたいだった。
私はゆっくりと頭を持ち上げて、においを嗅いで、ぺろりと一舐め。それから、小さなかけらをちょこんと口に入れたの。舌の上にひろがったやさしい甘さは、まるでお姉ちゃんの気持ちそのものだった。
その一口で、心まであったかくなったの。「ああ、やきいもって、こんなにおいしかったんだ」って。そして、「私、まだおいしいって思えるんだ」って、そのことにびっくりして、ちょっとだけ胸が熱くなった。
あなたのお友達も、もしかしたら最近ごはんを食べたがらなかったり、
おやつを見ても反応が薄くなったりしてるかもしれない。でもね、それはもう食べたくないっていう意味じゃないの。体がちょっと休ませてねって言ってるだけで、心のどこかには、まだおいしいっていう記憶が残ってるの。
その記憶をそっと呼び覚ますように、においを届けてくれたり、やさしく語りかけてくれたりすることで、ふとした瞬間に、食べたいなって気持ちが芽生えるのよ。
昨日の私がまさにそうだったんだ。お姉ちゃんの声と、やきいもの香りと、あの夕暮れの静けさが、ぜんぶ混ざりあって、私の中の“生きる力”を、ちょっとだけ押してくれたの。
やきいもって、ただの食べ物じゃない。それはつながる気持ちなの。家族と私のあいだにある、見えないけれど確かな愛情の橋みたいなもの。
昨日、私が食べたのはほんの少しのやきいもだったけど、その小さな一口が、私とお姉ちゃんをまたひとつ、ぎゅっと近づけてくれた。お姉ちゃんの顔、すっごく嬉しそうだったんだよ。「リア、すごいね」「おいしい?」って、にこにこしてたの。
私はうまく答えられないけど、目を細めてゆっくりまばたきして、ありがとうって伝えたの。きっと、伝わってたと思う。
ねえ、あなたも、ぜひお友達に「やさしい一口」を差し出してみてよ。おおげさじゃなくていいの。においを嗅がせてあげるだけでも、十分うれしいのよ。そして、もしその子が少しでも口にしてくれたら、その一口は、きっと命の中にある希望って名前の灯をともしてくれるはず。
私は昨日、やきいもを少しだけ食べた。ただそれだけのことなのに、心がぽかぽかして、「ああ、今日もいい日だったな」って、そう思えたの。
おいしいって、すごいね。生きてるって、あたたかいね。そんなことを、やきいもが教えてくれた夕暮れだったんだ。
ベランダを歩く足取りの小さな一歩が教えてくれたこと

夕方、やきいもを食べたあと、私はちょっとだけ体が軽くなったような気がしたの。ほんの少しだけど、「外の空気、吸いたいな」って思えたんだよ。
パパがそばにいたから、私はその気持ちを目で伝えたの。目が合った瞬間、パパはすぐにわかったみたいで、「ベランダ行ってみようか」って、やさしく声をかけてくれたんだよ。
ベランダってね、私にとってはちょっとした冒険の場所なの。外の風がそよそよ吹いてきて、空の色が変わる様子も見えるし、どこか遠くの音も聞こえてくる。体がしんどくなってからは、なかなか行けなかったけど、それでも私にとっては、世界とつながっている、特別な場所なんだ。
パパが抱っこして連れていってくれたベランダ。そこで私は、そっと前足を床に下ろして、空気のにおいを吸い込んだの。草のにおい、どこかで焼かれてるお夕飯のにおい、冬の冷たさを含んだ風のにおい、それら全部が私の鼻に届いて、「ああ、まだこの世界にちゃんとつながってるんだな」って思ったの。
それから、ほんの少しだけど、自分で歩いてみたんだ。一歩、また一歩ってね。力を入れて、前に進む。足元はふらついて、すぐにバランスを崩しそうになるけど、パパがすぐそばで見守ってくれてるってわかってるから、怖くなかった。
たった数歩。ほんのわずかな距離。でもその一歩一歩が、私の中でどれほど大きな意味を持っていたか。あなたにもきっと伝わるって思うんだけどどうかな。
前に進むことって、体だけじゃなくて、心にも力がいるの。歩くって、まだ前に行きたいって思ってる証だと思うんだよね。ここにいたいとか、もっと感じていたいとかっていう気持ちが、足の先からじんわり伝わってくるのよ。
ベランダの床に映る夕日が、私の影を長くしていた。その影が、私によくここまで来たねって、そっと語りかけてくれるような気がしたの。
ねえ、あなたのお友達にも、そんな一歩があるんじゃないかな?元気なころは駆け回っていた場所を、いまはゆっくり、慎重に歩いているかもしれない。その足取りがどれだけ尊いものか、あなたならちゃんとわかるよね。
私たちシニア犬にとって、歩くってただの移動手段じゃないと思うんだ。少なくても私にとってのそれは、ここにいるという証であり、まだ生きたいという気持ちの表現なの。
だから、もしあなたのお友達が立ち上がって一歩踏み出したら、その一歩を一緒に喜んであげてほしいな。「すごいね」「がんばったね」って、やさしく声をかけてあげてほしいんだ。
その言葉が、次の一歩の力になるのよ。それに、何歩も歩けなくても、立ち上がるだけで、目を外に向けるだけで、それはもう立派な行動なんだから。
私も、昨日の夕方、たった数歩のベランダ散歩だったけど、風の冷たさを感じて、空の広さを見上げて、今日もこの世界は美しいって、そう感じられたんだよ。
あの短い時間が、私の中でずっときらきらしてる。そして、「また明日も、こうして世界を感じることができたらいいな」って思えたの。そんな気持ちがある限り、私はまだこの世界にいたいって思ってる。
小さな足取りでつかんだまだ生きたいという想い。それを、パパと分かち合えた昨日のベランダ散歩は、私にとって、静かな希望の時間だったんだ。
眠りの中にある静けさ。今日という日をそっと抱きしめて

夕暮れの風に吹かれたあとの私は、やさしい疲れが体に残っていて、それがなんだか心地よくて、そっと目を閉じたの。
パパがブランケットをふわっとかけてくれて、お姉ちゃんが小さな声で「おやすみ、リア」って言ってくれた。その声を聞いたとたん、私はすぅっと夢の中へ。
今の私は、もう体を思うように動かすことはできないし、眠っている時間もとっても長くなったの。昔みたいにおもちゃをくわえて走ったり、階段を駆け上がったりはできないけど、それでも、こうしてそばに家族がいてくれて、安心してまぶたを閉じられる今が、すごく幸せだなって思うの。
眠っているあいだも、私はずっと感じているよ。あなたの気配、声、ぬくもり、やさしい空気。そばにいるよ、大丈夫だよっていう言葉が、体の奥の奥まで届いてきて、それが私の呼吸をゆっくりにして、心まで落ち着かせてくれるの。
眠るって、ただ休むことじゃないんだよ。今日をちゃんと感じて、「ありがとう」って心でつぶやく時間なの。あなたと過ごした一日の終わりに、私は静かに、そっと手を合わせる気持ちで眠るんだ。
昨日もそうだった。お姉ちゃんのくれたやきいもを口にして、ベランダの風にあたって、自分の足で数歩を歩いて、そのすべてが、私にとっては「生きた」って言える大切な時間だったの。
あなたのお友達にも、そんな一日があるよね。きっと、今日は特別なことは何もなかったって思える日でも、そばで寝息を立ててるだけで、あなたの心に小さな幸せが積み重なってるんじゃないかな。
私たちシニア犬にとって、眠る時間はとても大切。それは、終わりの予感じゃなくて、これからも続いていく今の一部なの。また目を覚ましたいなって願いながら、今日もありがとうって感じながら、やさしくまぶたを閉じるその瞬間こそが、私たちの静かな祈りなの。
それでね、パパがときどき、私の寝顔を見ているのがわかるんだ。「リア、今も夢の中かな?」ってつぶやいたり、私の耳の後ろをそっと撫でたりしてくれる。その手の感触が、私にとって何よりの安心なんだ。
そしてね、もしもこのまま目が覚めなかったとしても、私はきっと後悔なんてしないと思うの。だって、こうして最後の一日までを、ちゃんと抱きしめるように過ごせてるから。
でも、今の私はまだ、また目を開けたいって思ってるの。家族のみんなと目を合わせて、おはようって言ってもらいたいから。
だから、今この眠りはさよならじゃなくて、つづきの中のひとやすみ。今日という日をまるごと受け止めたからこその、あたたかい眠りなのよ。
あなたにも、そんな眠りをそっと見守ってあげてほしいの。お友達が静かに眠っているとき、それは何も感じていない時間じゃない。心のなかで、たくさんのありがとうがあふれてるの。
私は今日も、あなたに伝えられるこの瞬間があることを、心からうれしく思ってる。眠りの中で、また明日が来ることを願って、今日という一日を、ぎゅっと抱きしめておやすみなさい。
リアより


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