歩けない日がある。でも、それがわたしのリズムなんだ

シニア犬の日常

こんにちはっ🐾キャバリアのリアだよ。

今ね、14歳。…ってことは、人間で言うと80代くらいなんだって。「すごいね〜」「よくがんばってるね〜」って言われるけど、わたし的には、そんな特別なことしてる気はしないんだよね。

歩けなくなったって、わたしの毎日は止まらないよ

最近、パパとおうちの中を歩くだけで、ふうってなるの。たまに足がカクンってなっちゃって、「あらら〜」って倒れかけたり、お外に出てもすぐに「パパ〜、もういいや〜」って座っちゃうこともある。

でもさ、それってわたしがサボってるわけじゃなくてね、その日の体調によって歩ける日と歩けない日があるだけで、それが今のわたしの、ふつーのリズムなんだ。

むかしのわたしはね、もう、めっちゃくちゃ元気だったよ。公園までダッシュで走って、草の匂いをクンクンして、通りすがりのワンちゃんにワンワン!って挨拶して、リードが引っ張られると「もっと行く〜!!」って抵抗してた(笑)

…でもね、気づいたら、走るのも、長く歩くのも、難しくなってた。たった数分歩いただけで、足がガクガクしたり、息がゼーゼーしたりして、歩きたいって気持ちはあるのに、体がついてこないんだ。

でもね、それでもわたしの毎日は、止まってなんかないの。

たとえばさ、「今日は歩けなさそうだな〜」ってときは、パパにじーっと目で合図を送るの。そしたらね、わかってくれるの。「ああ、今日は抱っこ散歩の日ね?」って。

それで、ふんわりバスタオルで包んでくれて、パパの胸の中へぴたっ。パパの心臓の音を聞きながら、いつもの公園をぶら〜りお散歩するの。

風のにおいも、花の香りも、鳥の声も、わたしの鼻と耳にちゃんと届いてる。歩いてないけど、ちゃんと外を感じてるんだ。それって、とっても大事なことだと思うの。

歩けることはうれしいこと。でも、歩けなくなったからって、不幸だとは思ってない。

だってね、わたしのそばには、今のわたしをちゃんと見てくれるパパとママがいるから。
「リア、今日は調子どう?」「無理せんでええよ」って言ってくれる。それって、すごくすごくうれしいことだと思わない?

わたしね、歩かなくても毎日が楽しいの。だって、おうちの中で大好きなキティちゃんのぬいぐるみにぴったりくっついて寝てるとき、そっとお兄ちゃんが毛布をかけてくれるの、最高にしあわせな時間なんだよ?

だから、「歩けなくなった」って言葉で、わたしの価値やしあわせを測らないでほしいなぁって思うの。むしろね、最近はわたし、「歩くより、抱っこされる方がVIP対応ちゃう?」って思ってるくらい(笑)

ね?歩けなくなっても、しあわせって、ちゃんと続いていくんだよ。

わたしも悔しい日がある。でも、そんな日は寄り添ってくれるだけでいいの

ふだんはね、のんびり屋さんっぽく見えるかもだけど、ほんとのわたしは――けっこうプライド高いほうだと思うの。

だってね、昔は自分の足でスタスタ歩けてたし、お散歩もだ〜いすきだったし、おうちの中で家族が歩いてるとき、わたしもちゃんと一緒に動きたかった。

でも、今はちがうの。

頭の中では「行きたい!」って思ってるのに、足がついてこなかったり、途中でふらっと倒れかけちゃったり。この前なんて、キッチンまで歩こうとして、途中で転びそうになっちゃって、ママが急いで抱きとめてくれたの。

あのとき、正直、すごく悔しかった。わたし、犬だから言葉はしゃべれないけど、心の中ではいろんなこと思ってるんだよ。

「もうダメなのかな…」って、ふと感じるときもあるし、「もういらない存在になったのかな」って思ってしまいそうになることもある。

でもね。そんなときに、パパが言ってくれるの。「リア、えらいなぁ」「今日もがんばったなぁ」「よう動いたなぁ、ゆっくり休んでええからな」って。

わたし、その言葉だけで、涙が出そうになるの。あ、犬だから実際には泣けないけど、心ではずっと、うるうるしてる。

あとね、歩いていて途中でうずくまっちゃったときや、「もう歩けへん」って、地面にペタンと座っちゃったときなんかに、パパが来て、何も言わずに抱き上げてくれるの。「よしよし、がんばったな」って、そっと胸に抱いてくれて。

そのとき、風がわたしの耳をくすぐるの。木々の葉っぱが揺れる音が聞こえるの。遠くから子どもたちの笑い声が聞こえるの。その全部が、わたしにとってのごほうびなんだよ。

「歩けないこと」って、まわりの人はかわいそうって思うかもしれないけど、わたしにとっては、そんなに悪いことじゃないの。だって、寄り添ってくれる誰かがいれば、それで十分しあわせなんだもん。

ママが笑ってくれたり、お兄ちゃんが「リア、今日ちょっとしんどそうやな〜」って気づいてくれたり、お姉ちゃんが「抱っこしよっか?」って言ってくれたり。そんなひとつひとつが、わたしの元気のもと。

とくにうれしかったのは、ある日の夜のこと、わたしが自分のベッドから動けなくて、パパが「リア、今日はちょっとつらいな…」って言いながら、キティちゃんのぬいぐるみをそばに持ってきてくれて、その横にもうひとつ、小さな毛布をふわっとかけてくれたの。

その毛布のにおいがね、すっごく安心するの。きっと、家族の誰かが使ってたんだろうな。それをパパが、わたしのために選んでくれたんだと思うと、「もう、しあわせすぎて眠たくなっちゃった」んだよね(笑)

だからね、歩けない日があってもいいの。しんどい日もあるけど、それでも大丈夫。だって、そばにいてくれるって、それだけで、わたしには世界一の支えなんだもん。

歩ける距離じゃなくて、一緒にいられる時間を大切にしてるの

昔はね、「今日は公園まで歩けたよ!」とか「坂道も登れたよ!」とか、そんなどれだけ歩けたかっていうのが、うれしかったの。でも今は、

「今日は何分、一緒に外の空気を吸えたか」
「今日はどれだけパパと同じ景色を見られたか」
のほうが、ずーっと大事だって思ってるんだ。

わたし、歩ける日もあるの。朝、目が覚めて、気分も体調もなんだかよさそうな日は、「お散歩行こうかな〜」って自分から玄関に歩いていくんだよ。

でも、そうじゃない日もある。寝起きがしんどかったり、足に力が入らなかったり、息がちょっと苦しかったり。

そういう日は、パパやママがわたしを抱っこして、お外の空気だけでも感じられるようにしてくれるの。公園のベンチに一緒に座って、わたしが膝の上で丸まって、ただ、ぼーっと風を感じてるだけ。それだけなのに、すごく安心できるの。

他のワンちゃんが走ってる姿を見ても、「うらやましい」とか「わたしも走りたい」とか、思わない。だって、わたしには、いまのわたしにちょうどいい場所があるから。

昔みたいに歩けないわたしを、「もう歩けへんのか…」って悲しそうに見る人もいるけど、パパとママはそうじゃなくてね、「今日はどこまで行けるかな?」じゃなくて、「今日はどう過ごしたい気分?」って、聞いてくれるの。

それがうれしい。ほんとうに、心からうれしいんだよ。

このあいだ、抱っこしてもらって、お買い物についていったことがあるの。外の音がシャカシャカしてて、風がぴゅ〜って吹いてて、ちょっと怖かったけど、パパがずっとそばにいてくれた。

わたし、ふだんは「歩けなくなってごめんね」って思いがちだったけど、そのとき気づいたの。「歩くかどうか」じゃなくて、「一緒にいられるかどうか」が、いちばんの幸せなんだって。

それにね、パパがふと立ち止まってわたしの頭をなでてくれたときや、ママが「リア、今日も一緒にいれてうれしいわ〜」って言ってくれたとき、そのたびに思うの。

わたし、今日もちゃんと生きてるって。わたしのいまは、誰かと分け合える時間なんだなって。

たしかに、歩ける距離はどんどん短くなってるし、一緒に走った日々は、もう遠い記憶かもしれない。でも、わたしは毎日、家族と一緒に新しい記憶を作ってるんだよ。

「5分しか歩けなかったね」じゃなくて、「5分も一緒にお散歩できたね」って言ってくれる人がいるから、わたし、明日もまた、「今日はどんな時間を過ごそうかな」って、思えるんだ。

歩けることがすべてじゃない。いっしょに笑って、いっしょに季節を感じて、いっしょに眠って、目を覚まして、そのいまの積み重ねこそが、わたしの宝物。

無理に歩かなくていい。私に合ったリズムが大切なんだ。

もしかしたら、「うちの子、最近全然歩きたがらないんです」「お散歩に行こうとすると座り込んじゃって…」そんなふうに、ちょっと不安な気持ちを抱えてるのかもしれないね。

その気持ち、すごくよくわかるよ。わたしだって、歩けなくなったとき、家族の目が少しだけ悲しそうに見えた。「リア、どうしたのかな?」って心配してくれた。その優しさも、ちょっぴり重たく感じた日もあったんだ。

でもね、声を大にして言いたいの。「歩けなくなっても、その子の人生は終わったわけじゃない」って。

わたしたちシニア犬は、歩くことそのものを楽しむんじゃなくて、誰とどんなふうに過ごすかを楽しんでるんだよ。

だからもし、今日のお散歩で歩けなかったとしても、「よしよし、今日はこのくらいでええよ〜」って笑ってあげてほしいの。抱っこで外に出るだけでもいいし、玄関の前で日向ぼっこするだけでもいい。バギーに乗せてお散歩風を感じさせてくれるのも、すごくうれしいと思う。

無理にリードを引っ張らなくていいんだよ。「また今度一緒に行こうね」って、その日はそれで終わっていい。わたしたちシニア犬は、あなたの気づかいにちゃんと気づいてるから。

それにね、歩けない日があるっていうのは、「その日を感じる新しい方法を見つけるチャンス」だと思ってるの。

歩く代わりに空気を吸う。風の音を聞く。木のにおいをかぐ。そしてなにより、大好きな人の手のぬくもりを感じる。それだけで、十分。ほんとうに、それだけで、しあわせなの。

もしあなたのそばに、わたしみたいに「歩くのがむずかしくなってきた子」がいたら、どうか、こう声をかけてあげてほしいの。

「今日も一緒にいてくれてありがとう」って。それだけで、その子の心はポカポカになるよ。わたしがそうだから。

ねえ、わたし、まだまだ歩ける日もあるし、がんばろうって思える日もある。だけど、毎日そうじゃない。それでも、毎日「今日もいい日やったな〜」って眠れるのは、家族が、今のわたしをちゃんと受け入れてくれてるからなんだ。

だから、あなたもどうか、「昔はこんなことぐらい簡単にできたのに」って思う代わりに、「今はこれができるね」って、一緒に喜んであげてね。

そして、リアから、さいごのお願い。わたし、歩けない日があっても、心はちゃんと前に進んでるよ。無理に引っぱらないでいいし、無理に戻そうとしないでいいし、いまのわたしに合わせてくれる優しさが、一番のプレゼントなの。

そして、歩ける距離じゃなくて、一緒にいられる時間を宝物にしてほしい。それが、わたしのリズム。それが、シニア犬の幸せのかたちなんだよ。

今日も読んでくれてありがとう。また、わたしのこと、聞きにきてくれるとうれしいな。じゃあ、またねっ💕

リアより

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