動かなくても私はまだ生きているよ。キャバリア・シニア犬リアの心の物語

シニア犬の日常

こんにちは、キャバリアのリアです。

もうすぐ15歳になるシニア犬。

「動かない」「眠ってばかり」「もう寿命なのかな?」──そんな風に思われることが増えてきたけど、今日は、そんなわたしの今について、わたしの言葉で伝えさせてほしいの。

わたし、リア。まだ生きてるよ

この頃、よく「リア、今日も寝てばっかりだね」って言われるの。うん、確かにそうかもしれない。若いころはね、走るのが大好きで、庭をぐるぐる回ってたんだ。ママが冷蔵庫を開ける音には秒速で反応してたのに、今は夢の中。

でもね、心の中ではちゃんと生きてるよ。

まわりの音にすぐ気づけなくなったし、動こうとしても体が重たい。でも、「わたしはまだここにいるよ」って、そう言いたくて・・・。だから今日は、こうして言葉にしてみたの。

眠りの森の中で。世界の音が遠くなった日

ある日ね、東京からお兄ちゃんが帰ってきたのに、気づかなかったことがあったの。今までは絶対、玄関の音で起きてたのに……。

「え、いつ帰ってきたの?」って自分でも驚いた。

それから少しずつ、聞こえないことが増えてきたんだ。ママの足音、パパの声、テレビの音──。どれも遠くて、ぼんやりしていて、なんだか夢の中にいるみたい。

でもね、その分わたしは安心できる場所を探すようになったの。冬はね、ふわふわの布団の上にキティちゃんのぬいぐるみを敷いて、ママがそっと毛布をかけてくれる場所。そのときの温もりが、世界とつながってる気がするの。

夏はクールマットの上。扇風機の風が心地よくて、「あ〜極楽」って感じ!動かない時間も、感じてるんだよ。

いつからか、少しずつ忘れるようになった

このごろ、ちょっとね、名前を呼ばれても反応が遅れるの。「リア?」って何度も言われて、ようやく「あ、わたしのことか」って気づくんだ。

お家の中でも、ときどきどっちに行けばいいかわからなくなって、お風呂場にいったり、台所に行ったり、同じところをぐるぐる回っちゃたり。

それに、夜、急に不安になって「ワンワン」って叫びたくなることもあるの。たぶん、それが「認知症」っていう状態なのかもしれないね。わたし自身も、「なんでこんな風になったんだろう」って戸惑ってる。

でもね、ママもパパも怒らない。「そうだね、リア、こっちだよ」「大丈夫、大丈夫」って言ってくれる。だからわたしも、不安なときはちゃんと甘えるようにしてるの。

忘れることが増えた分、つながっているって感覚が大切になってきたんだよ。

昔のリアじゃないかもしれないけれど、わたしはわたしだよ

わたしね、もう昔みたいには走れない。前みたいにジャンプしてソファに飛び乗るなんて、とてもできないんだ。でも、「わたし」は「わたし」のままなんだよ。

目が合ったとき、ママがにっこり笑ってくれると、それだけで心がぽっとあったかくなるの。昔みたいに吠えなくても、体で表現できなくても、ちゃんとここにいるって感じてるの。

だからね、「動かない」ってだけで、終わりみたいに思わないでほしいんだ。わたしは、静かな時間の中に、ちゃんと生きてるから。

介護されるって、ちょっとくすぐったいけどあったかい

最近はね、起き上がるときに少し時間がかかるの。後ろ足が「よいしょ」ってならないと動かないし、\nふらつくことも増えてきた。

そんなわたしのそばに、ママの手があるの。ふわっと支えてくれて、背中をなでてくれる。

トイレのときも、食べるときも、ほんとにそっとそっと見てくれてるの。介護って言葉、昔は「かわいそう」ってイメージだったけど、今はちょっとくすぐったくて、でもすごく安心できる行為だと思ってる。

ママが拭いてくれるおしり、パパが敷いてくれるお布団、お姉ちゃんが持ってきてくれる水のボウル。全部、「わたしを大切にしてくれてる」って証。世話されるのではなくて、愛されてるって感じるんだよ。

動かなくなってきたからこそ、気づける愛情があるって、わたしは思うの。

寿命って言葉に、わたしはちょっとだけ思うことがある

キャバリアって、だいたい12〜15歳くらいで寿命って言われるでしょ。そんな中、もうすぐ15歳になるわたし。「長生きだね」「そろそろかもね」って、いろんな言葉が聞こえてくる。

でもね、寿命って、ただの数字じゃないと思うの。今日、ママと目が合って、しっぽがふわっと動いた日。それがある限り、わたしは生きてるって言えるんだ。

確かに、もうたくさん歩けないし、ボールを追いかけることもできない。でも、動かないってことと生きてないは違うと思うんだ。

心はちゃんとここにあって、目に見えないけど、毎日を味わってる。たとえ世界がぼんやりしていても、ひとつひとつの瞬間が、宝物のように染みこんでるの。

だから「寿命」って言葉に、怖がらないでほしい。わたしにとっては、「今、ここにいること」がすべてだから。

動けなくなっても今を一緒に過ごせることが何よりの幸せ

わたし、昔よりずっと動かなくなった。

でもね、それでもうれしいのは、朝起きたら、ママの「おはようリア」って声があること。ごはんを食べたら、「いっぱい食べたね」って言ってくれること。夜、眠るときに「おやすみ、また明日も一緒だよ」って言ってくれること。

その一言一言が、わたしを生かしてくれてるんだ。「介護は大変」って言われることもあるけど、

わたしは知ってるの。ママはそれ以上に、たくさんの愛をくれてるって。

だからね、わたしも返したい。ただそばにいることしかできないけど、ときどき目を細めて、ゆっくりしっぽをふって、「ありがとう、まだここにいるよ」って伝えてるつもりなんだ。

わたしの命は、もう折り返しを過ぎてる。でも、動かなくなった今こそ、感じられることがあるの。

愛されてる、守られてる、信じてもらえてる。

それがあるから、今日もちゃんと生きてるって言える。パパ、ママ、家族のみんな、どうか、わたしのいまを見てくれてありがとう。もう少しだけ、一緒にいようね。

リアより

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