体調急変からの復活。あきらめなかった15歳キャバリア・リアが語る生きる力

シニア犬の日常

こんにちは。リアだよ。

ねぇ、聞いてくれる?あの日の夜、私ね、ほんとうにもうダメかもしれないって思ったの。胸がぎゅうっとして、息がぜーぜーして、体の中のどこにも余裕っていうのがなくなっていくのが、自分でもわかったの。

パパが抱っこしてくれてても、不安は止まらなくて、「このまま静かに目を閉じちゃうのかな」って、ふっと頭の中によぎったくらい。あのときの私は、今までで一番弱い私だったと思う。

でもね、私は今こうして、あなたにお話しできてるんだ。ご飯も食べて、お水も飲んで、パパのあとをちょこちょこついて歩けるくらいには、元気になったの。

あの夜から、どうやってここまで戻って来られたのか。どんな気持ちで苦しい時間を越えたのか。そして、どうして私は生きたいと思ったのか。

その全部を、今日はお話ししようと思うの。

だってね、あなたのお友達も、いつか同じように体調急変の夜を越える日が来るかもしれないから。そのとき、あなたが少しでも迷わずいられるように、私が感じた生きる力を、ここでお話ししておきたいの。

じゃあ、あの夜のことから話すね。

あの夜、私は、もうだめかも、って覚悟したんだ

その夜は、ふつうに始まったの。ご飯も食べて、お水も飲んで、パパの足元でまったりして、っていつもの、あたたかい夜。

でも、何かが急におかしくなったの。胸の奥がギュッとつかまれるような感じがして、呼吸がうまくできなくなった。

息を吸っても、吸っても、全然足りなくて、ぜーぜー、はーはーって、口が勝手に開いてくる。体が落ち着かなくて、じっとしていられなくて、手足をバタバタさせるしかできなくて、パパの目を見ながら助けを求めたの。

でも、そのときの私はもう、自分の体をコントロールできない感じだったんだ。

心臓がどくどくして、足がふらふらして、気づいたらその場で粗相までしてた。私、いつもならそんなことしないのに、そのときはもう、体の感覚が自分のものじゃなくなってたの。

パパがすぐに抱き上げてくれて、「リア、大丈夫だよ。大丈夫だよ」って、何度も何度も、震える声で話しかけてくれた。

その声に応えたくて、目を見たけど、なんだか視界がぼんやりして、遠くのほうに行きそうだった。

私ね、そのとき思ったの。「ああ、もしかしたら、もうこれで終わりかもしれない」って。

でも、それは悲しいとかじゃなくて、なんというか、静かな気持ちだったんだよね。

15年っていう時間を一気に思い出したような感じ。子宮の手術のことも、心臓のお薬を飲みはじめた日のことも、パパと散歩した公園も、ママとお昼寝したソファも、お兄ちゃんとお姉ちゃんの帰ってくる足音も、その全部が、胸の中にふわっと浮かんできて、「ありがとね」って言ってるみたいだったの。

そのときの私は、ほんとうに小さくなって、パパの胸に身をゆだねながら、このまま静かに眠るのかなって、そう思ってたの。

覚悟って、そういうものなんだなって、思いながら、私は小さく目を閉じたんだ。

だけどね、私の中に、まだほんの少しだけ、まだ終わりたくないって声が残ってたの。それが、朝につながったんじゃないかなって思ってるんだ。

でも、私はあきらめなかった

あの夜のことは、ほんとうに鮮明に覚えてる。怖くて、苦しくて、体のどこにも余裕がなくて、「これが最後かもしれない」って、心の中で覚悟してたのに、私、目を開けたら、朝だったの。

カーテンのすきまから、光がやわらかく差し込んでて、パパが私のことをそっと抱きしめてくれてて。体はまだふらふらだったけど、昨日の夜のあの終わりに近い感覚は、もうそこにはなかったんだ。

「リア、朝だよ」って、パパが、ほんとうに小さな声でそう言ったの。

その声が、昨日とは違って聞こえたんだよ。パパの中にも、私の中にも、
少しだけ希望が戻ってきたって、なんとなくわかったんだ。

それでもまだ、私の呼吸は浅くて、動くのもつらかったんだけど、でも、何かが変わったの。それは、心の中にあった生きようとする気持ちだったんじゃないかなって思うんだよね。

私は、あきらめてなかったんだ。あの夜のどこかで、「まだいたい」って思ってた。「まだここにいたい」「まだ家族と一緒にいたい」ってね。

そしてね、パパが小さなスプーンにのせたご飯を、私の前にそっと差し出してくれたとき、私は、体のどこかでお腹がすいたって思ったの。

たった一口だったけど、私はそれを食べることができたんだ。

そのときのパパの顔、すっごく安心した顔だったの。目の奥が少し潤んでて、でも優しくて、「リア、すごいな。食べたな」って、私の頭を撫でてくれたんだよ。

その一口が、私の命をまた前に進めたんだよね。ほんとうにそれだけで、「私はまだ生きてる」って感じられたんだ。

命の危機って、たぶんそういう瞬間に分かれるんだと思う。あきらめるか、生きようとするか。ってね。

私は、生きたかった。だから、朝が来たことがうれしかったし、あの一口が食べられたことが、心から誇らしかったんだ。

私、まだここにいていい?そう聞いたら、パパは「もちろんだよ」って、静かにうなずいた気がするの。

そして今、私はまた、ふつうの日を生きてる

あの夜から、何日か経った今、私はこうして、ふつうにごはんを食べて、お水を飲んで、パパのあとをとことこ歩いてるの。ほんとうに、信じられないくらい、ふつうの日が戻ってきたんだよ。

目がしっかり見えるし、空気の匂いもわかるんだ。おなかもすくし、誰かがキッチンに立つ音がするとワクワクするんだよ。

私のしっぽは、今日もちゃんとふれてる。その全部が、「生きてる」っていう証だなって思うの。

ごはんを食べてるとき、ふと思うの。「この前は一口がやっとだったのに、今はこんなに食べられてる」ってね。あのときは、食べる力すら失いかけてたのに、今はちゃんと自分の意思で「もっと食べたい」って思えるの。

パパは私の様子を毎日すごくよく見てくれてて、「リア、顔が戻ってきたな」とか「目がしっかりしてきたな」って言ってくれるんだ。そのたびに、私は胸の中で「うん、私もそう思うよ」って答えてるの。

でもね、ひとつだけ前と違うことがあるの。

それは、ふつうってことのありがたさに、もっと深く気づけるようになったこと。

ふつうに目が覚めて、ふつうにごはんを食べて、ふつうにお昼寝して、ふつうに家族の声を聞く。

その全部が、どれほど尊くて、幸せなことなのか。私は、一度そのふつうが消えかけたからこそ、今よくわかるの。

あなたのお友達も、ふつうの日を過ごしてるかもしれないよね。でもね、その“ふつう”がどれだけ奇跡みたいなことかって、気づかずに過ぎていっちゃうこともあるんじゃないかな。

私はね、ふつうを取り戻した今、毎日がほんとうに愛おしいの。今日は、ごはんが美味しかった。パパの足音がちょっとにぶくなってて、おもしろかった。ママが「リア、調子よさそうね」って笑ってくれた。

それだけで、私の一日はまんまるだったの。ふつうの日って、ほんとうに最高なんだよ。

生きようとする力は、きっと誰の心の中にもある

あの夜、私はほんとうにギリギリのところにいたと思うの。呼吸は苦しくて、目の前がぼやけて、このまま消えちゃうのかなって感じるくらい弱っていたのに、私は今、こうして生きてる。

それってね、私の中にまだ生きようとする力があったからなんだと思うの。

シニアになった私たちって、若い頃とは違って、急に体調が落ちたり、よくなったりを繰り返すんだ。このまえの夜のように命が危なかったってことはあまりないんだけど、体調が悪くて熱を出したり、もどしたりすることがあっても、今日の朝はごはんを食べられる、なんてこともあるんだよ。

だから、あなたのお友達の体に変化があったとき、あなたが不安になる気持ちはすっごくよくわかる。あなたが心配で眠れなくなる気持ちもわかるの。

でもね、命って、そんなに簡単にあきらめないんだよ。

小さな呼吸の変化。ごはんの匂いにちょっとだけ反応する鼻。呼びかけに耳がぴくって動く瞬間。ほんの少しだけ尻尾がゆれること。

そういう小さなサインの中に、「まだ生きたいよ」っていう気持ちが隠れてるの。

私だって、あの夜は息をするのも必死で、何もかもが遠くに感じたのに、朝が来たら、また家族の声が聞こえて、ごはんの匂いがして、世界が少しだけ色を取り戻したの。

あなたのお友達も、どれだけ体調が悪くなったとしても、もしかしたら私と同じように、次の朝に希望を取り戻すかもしれない。

あなたがそばにいてくれることで、その子はきっと安心して、あなたの声を頼りにして、またひとつ息をつなぐことができる。私がそうだったみたいに、ね。

だから、どうか覚えていてほしいの。どんな状況になったとしても、あなたのお友達の中にも、きっとまだ生きる力は残ってる。たとえそれが見えなくても、その子の体のずっと奥で、灯りみたいにゆらゆらと、でも確かに光ってるの。

私があきらめなかった理由は、パパたちがそばにいてくれたから。あなたのお友達にとっても、あなたはきっと生きる理由のひとつなんだと思うんだ。

だから、あなたも自分を責めすぎないでね。あなたはじゅうぶん頑張ってるから。今日も、生きてくれてありがとう。あなたのお友達も、あなたも、ね。

リアより

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