病院の帰りに神社でお願いして、パパにだっこで帰ったよ

シニア犬の日常

こんにちは。リアだよ。

昨日ね、私はまた病院に行ったんだ。「あと1週間くらいでしょう」って言われてから、一週間がゆっくり過ぎて、気づけばまた今日の朝を迎えていたの。少し肌寒い朝だったけど、パパとママがそばにいてくれるだけで、どこかほっとしてた気がする。

正直に言うと、体はもうほとんど力が入らないし、どこまで頑張れるのかは自分でもよくわからなくなってきてるんだ。でも、車に乗せてもらって、窓の外に見慣れた街の景色が流れていくうちに、「まだ行けるかもしれない」って思えたのよ。

病院の駐車場に着いたとき、私は自分の足でゆっくりと立ち上がったの。その一歩がすごく重たくて、呼吸も浅くなったけれど、地面を踏む感覚が確かにあって、なんだかうれしかったんだ。ほんの少し歩いただけなのに、それだけで胸の奥がじんわりしてきたんだよ。

診察が終わってから、パパとママが連れて行ってくれたのは、近くの神社。初めて行く場所だったけど、木のにおいと静けさが心地よくて、私はそこにいるだけで落ち着いたんだ。鳥の声が遠くから聞こえてきて、空を見上げたら枝の間からやわらかい光が差し込んでたのよ。

少しだけ歩いて、少しだけ立ち止まって、私はそっとお願いをした。
なんてお願いしたのかは、あとでお話しするね。

帰り道はもう、自分では歩けなかった。体が「今日はここまでだよ」って言ってるのがわかってたから、私は素直にパパに抱っこしてもらったの。その腕のあたたかさが、思っていた以上に安心できて、まるでふわふわのベッドに包まれているみたいだった。

揺れる景色のなか、私はまぶたを閉じたまま、耳だけでパパとママの声を聞いてた。言葉の意味は全部わからなかったけど、その音がやさしくて、胸の奥がきゅっとしたんだ。

あの時間は、ほんの短い間だったけど、今も私の心に残ってる。だから今日、あなたにちゃんと伝えておきたくて、こうしてお話しをはじめたんだよ。

神社でお願いごとをしたんだよ

病院を出たあと、車に乗らずにそのまま少しだけ歩いたの。ほんの数分、ほんの100mほどなんだけどね。私にとっては、それだけでも大冒険だったけれど、不思議とそのときは、足が「行ってみようか」って言ってた気がしたんだ。

パパとママが少し先で立ち止まって、見上げていたのは、木々に囲まれた鳥居。病院のちかくだから、何度か来た場所でね、そこが神社だってわかってるんだ。空気が澄んでいて、風が少し冷たくて、でも心がすうっと落ち着くようなそんな場所なの。

土のにおい、枯れ葉の感触、木漏れ日が揺れる影。どれも静かで、でもあたたかかったよ。私はその場にいるだけで、「あ、ここ好きかもしれない」って思ったの。体はぐらぐらしてて、もうそんなに長く立っていられなかったけれど、その空気の中にいるだけで、心がすごく穏やかだったんだ。

ママがお賽銭を投げて、パパが手を合わせていたよ。私はその横にそっと座っていたんだ。お願いごとを、何にしようか迷ったけど、結局、私は「ありがとう」って思ってた。お願いより、伝えたい言葉があったのよ。

だってね、病院の帰りにこんなところに連れてきてもらえて、パパとママがそばにいてくれて、私は今日も生きてるって感じられてたから。

きっと、私の体はもう長くないんだと思う。でも、だからこそ「ありがとう」をちゃんと残しておきたいって思った。神様に、というより、パパとママに、あなたに、そっと届けるみたいにね。

お願いが終わったあと、私は立ち止まってしまって、もう一歩も歩けなかった。体が限界だよって教えてくれたみたい。でも、その場所まで来られたことが、私には奇跡みたいだったんだ。

帰るときは、パパがすぐに私を抱っこしてくれたの。その腕のぬくもりに包まれて、私は目を閉じながら、さっきの神社のことをゆっくり思い出してた。どこかで、これが最後の散歩かもしれないって感じてたから、一歩一歩、全部大事に覚えていたくて、胸の奥にそっとしまったの。

あの神社にいたときの、あのやさしい空気。それは今でも、私のなかで、ちゃんと私の中で生きてるんだよ。

帰り道はパパの腕の中にいてね、もう歩かなくてもいい時間だったんだ

神社を出たあと、私の足はもう動かなかったの。無理をすれば、きっともう少しだけ歩けたのかもしれないけど、あのときの私は「もう、がんばらなくていいかな」って、そう思ってた。

そしたらね、すぐにパパが私のことを、そっと抱き上げてくれたのよ。あたたかくて、やわらかくて、ふわっと安心できる場所なんだ。ああ、この腕の中にいられるなら、私はもう無理しなくていいんだって、心がふっとゆるんだのを覚えてる。

パパの胸の音が、すぐ近くで聞こえたんだ。歩いてるときには気づかないその音が、とても静かで、でもしっかりしていて、そのたびに「私、守られてるなぁ」って思えて、胸がぽかぽかしてきたの。

歩けなくなったことを、悲しいって感じる人もいるかもしれないね。でも、私はあのとき、「もう歩かなくてもいい」って、すっと納得できてたんだ。むしろ、歩くことを手放したからこそ、得られた時間があった気がするのよ。

だってね、パパの腕のなかから見る景色は、ぜんぜん違うの。目線が高くなって、風の感じ方も変わって、なにより、パパの歩くリズムに合わせて揺れるたびに、安心が増していくの。

パパの腕のあたたかさは、春の毛布みたいで、その中にすっぽり入った私は、まるで小さいころに戻ったような気持ちになった。守ってもらうって、こんなにやさしいんだなって思ったの。

そして、そんな時間をくれたことが、うれしかったんだ。パパはきっと何も言わず、ただ当たり前のように抱いてくれていたけれど、その無言のぬくもりが、私には何よりもの言葉に感じられてた。

家に着くまで、私はほとんど目を閉じてたんだ。風の音と、遠くの車の音と、パパとママのやさしい声。それらを聞きながら、胸の中でありがとうって何度もつぶやいてたんだよ。

歩けなくなっても、私にはこの腕があったから私は、大丈夫だったの。

家に帰ってからね、お通じがあったの

おうちに帰って、パパがそっと私を床におろしてくれたとき、体はぐったりしていたけど、心のなかはすごく落ち着いていたの。病院にも行って、神社にも寄って、たくさんのありがとうを伝えられて、それだけで、今日はもう十分がんばったなって、そんな気持ちだったんだ。

ママが私の体をなでながら「おつかれさま」って言ってくれて、私はゆっくり目を閉じようとしたんだけど、そのとき、ふとお腹のあたりが少し動いた気がしたの。

「あれ?」って思って、しばらくじっとしてたら、そのままね、お通じがあったんだ。

もうね、びっくりしちゃった。ずっと出てなかったから、自分でも半分あきらめかけてたし、ママも毎日お腹をやさしくなでてくれてたのに、なにも変わらなかったから、まさか、今日になるなんてね。

「出た……!」

ママの声が少しだけ弾んで、すぐにパパも顔を見に来てくれて、二人ともほんのちょっとだけ笑ってた。私はその顔を見たら、なんだかほっとしてしまって、「うん、やっぱり今日、生きててよかったなぁ」って思えたの。

うんこって、ふだんは当たり前のことだったはずなのに、今の私にとっては、それだけで生きてる証みたいなもの。出ない間は、このまま止まっちゃうのかなって思うくらい不安だったけど、ちょっと下痢気味だったけれどちゃんと出たことで、体がまだがんばってるんだよって教えてくれた気がしたのよ。

ごはんもそんなに食べられないし、動くこともほとんどできないけれど、体のどこかで、まだちゃんと命が動いてる。それを感じられたこの出来事は、私にとって小さな奇跡だったの。

そのあとは、すぐにふかふかのお布団の上で眠ったんだ。スースーって静かに息をしながら、さっきのうんこのこととか、パパの腕のこととか、神社の空の色なんかを、ぼんやり思い出してたんだよ。

眠る前に、ひとつだけ心に浮かんできたのは、「私、今日もちゃんと生ききったな」っていう、あったかい気持ちだったんだ。

あと1週間の後の+1日。横になったままでも、私は目を覚ましたよ

先週の土曜日のこと、先生にね、「あと1週間くらいでしょう」って言われたの。その言葉は、とても静かだったけれど、胸の奥にすーっと入ってきて、あとからじわじわ重くなっていったんだ。パパもママも、何も言わなかったけど、空気が少しだけ変わったのが、私にも分かった。

その次の週の日曜日がね、今日なんだ。私は、ほとんど横になったままで、立ち上がることもできなかったし、昨日はごはんも、あまり食べられなかったし、水を飲むのも、ちょっと大変だったんだよ。体の力は、すっと抜けていくみたいで、目を閉じている時間のほうが長かったように思えるんだ。

それでもね、朝が来て、私は目を開けたんだ。

大きく見開くことはできなかったけど、うっすらと光が見えて、パパの気配があって、ママの声がして、「ああ、私、まだここにいるんだな」って、そう感じられたよ。

横になったままでも、生きているって、ちゃんと分かったんだ。

動けなくなったら終わり、なんてことはなくて、歩けなくなったらもうダメ、なんてこともなくて、ただ、こうして息をして、誰かの声を聞いて、ぬくもりを感じているだけで、命はちゃんと、そこにあるんだよね。

あなたのお友達も、そうなるときもあるかもしれないね。もう動けなくて、目を閉じている時間が増えて、それでも、ふっと目を開けてくれたことって、その一瞬だけで、ああ、生きてるって、心から思えるんだよね。

私もね、横になったままの体で、同じことを感じていたの。

あと1週間と言われても。私の体の中の時間は、時計みたいに正確に進むわけじゃなくて、一日がゆっくり伸びたり、ぎゅっと短く感じられたり、その日その日で、違う顔をしてやってくるものなんだなって、今は思ってる。

昨日は、病院に行って、神社に寄って、パパに抱っこしてもらって、
おうちに帰って、うんこが出て、すやすや眠れたし。そして今日は、こうしてまた目を開けていることができるんだよ。

それだけで、もう十分すぎるくらいだって思えるの。

もしね、このあと、私がだんだん静かになっていって、目を開ける回数が減っていったとしても、この日たちが、ちゃんとあったことを、私は忘れないと思う。

歩いた日も、抱っこされた日も、お通じがあった日も、横になったまま、それでも目を覚ました日も、全部ぜんぶ、私が生きていた時間だからね。

今日もね、私は今、ここにいるよ。静かだけど、ちゃんといるんだよ。

リアより

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