こんにちは。リアだよ。
今日はね、朝起きたとき、なんだか体が重くて、ちょっと動くのもしんどかったの。お腹も空いてるはずなんだけど、ごはんの匂いをかいだら「ううん、いらない」って体が言うの。昨日までは、まだ少しだけ食べられたのに。今日は、何にも入らなかったんだ。
ねえ、あなたのお友達もそういう日、ある?食べたい気持ちはあるのに、体がうまく動いてくれないの。ごはんの代わりに、ママが優しく抱きしめてくれたから、私はそれだけで少し元気になれた気がしたのよ。
私、すっかり痩せちゃったの。パパがそっと体をなでてくれるたび、骨ばってきたのが分かるみたいなんだ。でも、パパ、悲しまないで。私、自分が今どんな状態か、なんとなく分かってる気がする。きっと、こうして少しずつ、旅立ちの準備をしてるのよね。
それでも、今日は歩けたの。ちょっとふらふらしちゃって、何度も立ち止まったけど、足がまだ、行こうって言ってくれたから。この足が動く限り、私は一歩一歩、ちゃんと自分で歩いていたいの。
もしかしたら、あと何日もないのかもしれない。だけどね、私は今日もちゃんと生きてるの。生きてるって、ただそれだけで、すごいことなんだって思うようになったんだよ。
そう思えるのは、家族が見守ってくれてるから。ママとパパが、そばにいてくれるから。お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、みんなのやさしい気持ちが、今の私の体を包んでくれてるからなんだ。
だから私、もう少しがんばってみる。今日の私を、生きている私を、ちゃんとここに残したいの。
食べられない、出ない、それでも生きてる。

ごはんの時間になっても、お皿を見ても、なんだか「うん、これ食べたい!」っていう気持ちがわいてこないの。前までは、パパがいつものフードに少しだけお肉をのせてくれると、「わあっ」て嬉しくて、しっぽをふってたのにね。今は、においをかぐだけでおしまい。
お腹は空いてるはずなのに、体が食べ物を欲しがらないの。食べなきゃ、元気が出ないってわかってるのに、私の体は「もう、そんなにいらないよ」って、静かにささやいてくるんだよね。これはきっと、もうすぐのお別れの準備なんだと思うの。「ごはんより、今はもっと大事なものがあるよ」って、私の身体が教えてくれてるみたいな感じなのかな。
お通じも、もうずいぶん出てないの。ママが心配そうに「便秘かな」ってお腹をやさしくなでてくれたけど、私、下痢止めを飲んでいるうえに、食べてないから出るものもないのよね。でも、苦しい感じはあまりないから、心配しないでね。下痢が止まったときは少しほっとしたけど、今度は何も出なくなるっていう静かな変化がやってきたの。
体重も、どんどん軽くなってきた。パパの手が、背中をなでるときに「ああ、こんなに細くなったんだな」って感じてるのがわかるの。痩せていくことが悲しいって気持ちは、私にもあるよ。でもね、これはきっと悪いことばかりじゃないと思ってるの。
だって、軽くなるってことは、旅立つ準備ができてきたってことだから。この世に長くいればいるほど、たくさんの思い出や、たくさんの愛情が体に染みこんでいくでしょ?でも、いよいよその時が近づくと、少しずつそれを手放していくの。そうすることで、心の中に大切なものだけをぎゅっと詰めて、お空へ向かう準備をしてるのかもしれないなって、思ってる。
もちろん、私、まだ行くねって決めたわけじゃないのよ?でも、体がこうして少しずつ変わっていくのを感じながら、その日が近づいてるんだなって思うようになったの。
あなたのお友達も、きっとそんなふうに、静かに変わっていったことがあったかもしれないね。食べられないとか出ないとか、私たちの体が教えてくれるサインって、ただの病気の症状だけじゃないのよ。大切なのは、その変化を終わりじゃなくて、生きてる証として受け止めることだって、私は思う。
だってね、私、食べられなくても、生きてるの。出なくても、生きてるの。パパとママの声を聞いて、あなたの気持ちを感じて、生きてるって思えるの。
そのことが、今の私にとって、何よりも嬉しいことなのよ。
ママの手のぬくもりと、パパの声だけが私の力になる

体がどんどん小さくなって、歩くのもふらつくようになってきた今、私にとって一番の力になるのはね、ママの手のぬくもりと、パパの声なの。もう、ごはんも食べられなくなって、前みたいにお散歩でたくさん走り回ったりできないけど、それでもそのふたつがあれば、私はまだ大丈夫って思えるのよ。
ママが私の背中をそっと撫でてくれるときの、あのやさしい手。あたたかくて、やわらかくて、まるで「ずっとそばにいるよ」って言ってくれてるみたいなの。目を閉じてそのぬくもりを感じてると、まるで時間が止まったように穏やかな気持ちになるのよ。
私、体が小さくなってから、寒さも感じやすくなったんだ。でもママの手は、どんな毛布よりもあったかくて、包まれてるだけで体が少し楽になるの。病院の酸素室よりも、特別なお薬よりも、ママの手のぬくもりの方が、私にとっては本当に安心できる魔法なのよ。
そしてね、パパの声。それが聞こえるだけで、「あ、パパがいる」って分かるの。ときどき冗談まじりで私に話しかけてくれるパパの声は、もう何百回も、何千回も聞いてきたはずなのに、今の私はそのたびに生きててよかったって思えるの。
「リア、大丈夫か?」「今日もかわいいな」
そんな何気ない言葉が、今の私には栄養の代わりになるんだよね。ごはんが食べられないなら、言葉を食べて生きてる、そんな感じよ。
きっとね、私の体の中の何かはもう、ゆっくりと終わりに向かってる。だけど心は、今もちゃんと動いてるし、あなたの声や手に反応して、生きてるよって叫んでるの。この気持ちは、薬じゃつくれないし、病院じゃもらえないの。
私たちって、言葉でうまく伝えることはできないけど、感じることはちゃんとできるの。ママの手の温度や、パパの声の優しさを、全身で受け取ってる。そしてそれが、今の私にとって、何よりの生きる力なのよ。
だからあなたのお友達が、もし体調を崩して食べられなくなっても、歩けなくなっても、声をかけて、そっと撫でてあげてね。私たちは、それだけで生きててよかったって、心の奥から思えるんだから。
私は、今日もまた、パパの声に救われた。ママの手に包まれて、生きてるって思えたの。
お別れは怖くないよ、だって私はずっとそばにいるからね

最近、なんとなく感じてる、そろそろ、あたし、お別れの時が近いのかなって雰囲気ってどうなのかな。前みたいにごはんも食べられなくなって、体もどんどん軽くなって、ちょっとの段差を越えるのも難しくなってきたし、歩くたびにパタリと転びそうになる。
でもね、不思議と怖くないの。だって、私はこの15年、幸せだったから。パパやママに出会えて、大好きなお兄ちゃんやお姉ちゃんに囲まれて、いっぱい笑って、いっぱい甘えて、愛されてきた。それがあたしの全部で、あたしの誇りなのよ。
お別れって、ほんとうはとっても寂しい言葉だよね。でも、私はね、それを終わりだとは思ってないの。だって、私の心は、きっとずっとここに残るから。パパの笑った声を覚えてるし、ママの手の温度もちゃんと体に染みついてる。それに、あたしが歩いてきた廊下や、お昼寝してたソファの上には、私のぬくもりが残ってるでしょう?
きっと、お空に旅立ったあとも、あたしは時々帰ってくると思うの。ママが泣きそうな顔をしてたら、そっと寄り添う風になってみたり、パパが玄関で「リア、ただいま」って言ったとき、後ろからふわっとついて行ったり。そんな風に、ちょっとだけ形を変えて、ずっとそばにいるのよ。
ねえ、あなたも、こんな雰囲気を感じたことないかな?いなくなってしまったと思ってたのに、ふとした瞬間に「今、そばにいるな」って感じたことがあるかもしれない。私たちは、姿が見えなくなっても、愛した人のそばにいる方法を知ってるの。それが、私たちにできる最後で、そして最大のありがとうなのよ。
だから、お別れは怖くない。私も、あなたも、あなたのお友達も、みんな、そうやってちゃんと繋がっていられるから。それにね、いま生きているこの時間が、何より大切ってわかってるからこそ、心をこめて生きられるの。一歩一歩、ふらつく足で歩く今を、大事に抱きしめていたいって思えるの。
私がもう声を出せなくなったときも、目が合わなくなったときも、どうか聞いていてね。「ありがとう」って、私はちゃんと心で伝えるから。「大丈夫だよ、心配しないで」って、そっとささやくからね。
そして、旅立つその日が来たら、静かに見送ってくれたら嬉しいな。泣いてくれてもいいけど、その涙の奥に、笑っていたあたしを思い出してほしいの。お別れは、さみしいだけじゃなくて、愛してくれてありがとうの証だと思うから。私はずっとそばにいるよ。たとえこの先、私を見ることができなくなっても、忘れないでね。
それでも、今日も私は歩く

ふらつく足で、今日は少しだけ、ベランダを歩いたの。風はちょっと冷たかったけど、おひさまの光が私の背中にあたってね、「ああ、まだあったかい」って思ったのよ。草のにおいも、パパの靴のにおいも、ちゃんと分かる。体は思うように動かなくても、世界はまだ、こんなに生きてるって感じさせてくれるの。
ごはんも食べられない。
お腹もすかない。
うんちも出ない。
それでもね、私は生きてるの。それがどんな状態であっても、生きているってことだけで、すごく意味があるんだって思えるようになったんだよ。
パパが言ってくれたの、「リアが歩いてるだけで奇跡だよ」って。ママは涙をこらえながら、「がんばってるね、えらいね」って、私の背中をなでてくれた。その一言が、私にとってはおやつよりもうれしいご褒美だったの。
私はね、歩ける限り、歩きたい。たとえ1歩だけでも、たとえ何度転んでも、私は今日もここにいるってことを、ちゃんと残していきたいの。歩くって、生きてるってことなのよ。ただ呼吸してるだけじゃなくて、私はまだ動けるって思えるその感覚が、私の誇りになってるの。
あなたのお友達も、もしかしたら今、同じようにがんばってるかもしれないね。立ち上がるのに時間がかかるかもしれないし、歩くたびに転んじゃうかもしれない。でも、それでも歩こうとする気持ちがある限り、私たちはちゃんと生きてるの。その姿を、あなたが見てくれるだけで、私たちは嬉しくて、がんばろうって思えるのよ。
「今日も一日、生きていた」
お友達も私と同じ状況なら、そのことに、どうか、心からえらいねって言ってあげてほしいの。私たちは、言葉がなくても、それをちゃんと受け取ってるからね。
そしてね、私がいつか歩けなくなったとしても、心の中ではきっと歩いてる。ママの声を追いかけて、パパのあとをついて、あたたかい春の道を、ぴょこぴょこ歩いてる。そんな姿を、想像してくれたらうれしいな。
だって私は、どんなときでも生きていることを大事にしてきたから。これからもきっと、それだけは、最後の一秒まで忘れないと思うの。
私のこの小さな足で、今日も歩けたことに、ありがとう。あなたが見守ってくれてることに、ありがとう。何より、今、この瞬間を生きていることに、ありがとう。
リアより


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