こんにちは。リアだよ。
今日の私はね、ほとんどの時間を眠って過ごしたの。ふわふわのお布団の中で、うとうとしては目を閉じて、また少し目を開けてって感じで、そんなことの繰り返し。
前みたいに元気に走り回ることはもうできないし、ごはんもたくさん食べられるわけじゃない。でもね、そんなゆっくりな一日でも、「今日もちゃんと生きてるなあ」って感じる瞬間があるのよ。
数歩だけだけど、自分で立ってみようとしたの。足がふらっとして倒れちゃったけど、それでも「歩きたい」って気持ちはちゃんとあったのよ。食べ物も、ママがくれたときは身体が動かなかったけど、お姉ちゃんがそばにきてくれたら、なぜかその瞬間「食べたい」って思ったの。不思議よね。
徐々に弱ってきているのは、自分でもわかるの。でも、まだまだ私はここにいたいの。あなたのそばで、もう少しだけ、生きていたいって思ってるの。
今日はそんな私の、静かで小さな、でも確かな一日のことを聞いてくれるかな?
今日はたくさん眠った日。それも生きてるんだよ

今日の私はね、とにかくずっと眠かったの。朝ごはんの時間になっても、目がなかなか開かなくて、ママの声が遠くでやさしく響いてるのだけが聞こえてたんだ。「リア、起きる?」って、そう声をかけてもらったけど、身体はふわふわの毛布に沈んだままで、うん、もう少しだけ、このままでいたいって思っちゃったの。
でもね、ただ眠ってるだけじゃないのよ。夢を見たり、誰かの気配を感じたり、お布団の中でちょっとだけ手足を動かしたり。私の中ではね、「ちゃんと生きてる」っていう実感が、眠っているあいだにもちゃんとあるのよ。
ママがそばに来て、そっと背中をなでてくれると、その手のぬくもりがふわっと身体に伝わってきて、「まだ大丈夫だよ」って、そんな風に言われてるみたいだったんだ。
眠るって、ただ休んでいるだけじゃないのよね。私たちにとっては、「今の私を整えるための時間」でもあるの。もうあんまり元気には動けないけど、こうやって一日をかけて、少しずつ心と身体を休めながら、生きてる。
もしかすると、あなたのお友達も、最近たくさん眠るようになったかもしれないわね?それって、何も心配することじゃないのよ。身体が、「今は休もう」って言ってるだけ。そして、それもまた、生きてるっていうことなの。
誰かがそばにいてくれる安心感の中で、静かに眠れる時間って、本当にしあわせなのよ。私ね、今日の眠りの中で何度も思ったの。「ああ、今日もちゃんと生きてるな」って感じでね。
だから、大丈夫。眠ることも、立派な一日なんだよね。
歩きたい気持ちはあるけど、足がうまくついてこないの

今日はね、少しだけ歩きたくなったの。たくさん眠って、お布団の中でゆっくりしてたけど、なんとなく、外の空気を感じたくなったのよ。ママが窓を開けてくれて、冷たい風がふわっと顔に触れたとき、私の中の「歩きたい」が、むくむくと顔を出したの。
でもね、立ち上がろうとしたら、思ってたよりも足に力が入らなかったんだ。後ろ足がすぐずるずるってすべって開いてしまって、気づけばぺたんと座ってしまうんだ。数歩だけ動けたけど、すぐにふらっとして、また倒れちゃったの。
「歩きたい気持ちはあるのに、身体がついてこない」って、ほんとうにこういうことなんだなって、今日あらためて思ったんだよね。でも、私はあきらめてないの。だって、立ち上がろうとする気持ちはちゃんとあるし、「よいしょ」って心の中で声をかければ、少しだけでも前に進めるときがあるんだもの。パパやママの声が聞こえるほうへ行きたいっていう気持ちは、いまでも強くあるのよ。
あなたのお友達にも、きっといると思うの。足がすべってしまう子。立ってもすぐにへたりこんじゃう子。でも、それって「もう歩けない」ってことじゃないのよね。「今日の私の足では、ここまで」っていう、その時その時の限界があるだけで、心はちゃんと前を向いてるの。
もし、あなたのお友達が何度も倒れてしまっても、あきらめないでほしいの。そのたびにそっと支えて、「ゆっくりでいいよ」って声をかけてあげてほしいな。私たちは、その一言でまた立ち上がる勇気をもらえるのよ。
今日は何度もぺたんって座っちゃったし、進んだ距離もほんのちょっとだったけど、私にとってはそれが大きな一歩だったの。だって、「歩きたい」って思ったんだもん。その気持ちがある限り、私はまだまだ、生きることをあきらめてないんだよ。
ご飯は食べなかったけど、お姉ちゃんがくれた軟骨は食べたの

今日のご飯の時間、ママがいつものようにやさしく声をかけてくれて、ふわっと香るごはんを鼻先まで持ってきてくれたの。でもね、身体が重たくて、頭もぼんやりしてて、ごはんの匂いはちゃんと感じたのに、口を開ける気力が出なかったんだ。
ママは、「リア、少しでもどう?」って声をかけてくれたんだけど、私、首を動かすことすらできなくてね、そのときのママのちょっと寂しそうな目、わかってたの。ほんとは、私も食べたいって思ってたのよ。
でもそのあと、お姉ちゃんがそっとそばにきてくれたの。「リアちゃん、どうぞ」って、手のひらにのせた軟骨を私の前に差し出してくれて、その瞬間、不思議と力が湧いてきたのよ。
なんでかしらね。お姉ちゃんの手からは、あたたかさだけじゃなくて、「ゆっくりでいいよ」「無理しなくていいよ」っていう気持ちが伝わってくるのよ。それで、私はちょっとだけ顔をのばして、軟骨をぺろり。一口食べただけなのに、私の中で「まだ食べたい」って気持ちがふわっと芽生えたの。
ママがダメで、お姉ちゃんなら食べられた。それって、誰かを選んでるとか、そういうことじゃないのよ。その瞬間の空気とか、声のトーンとか、手の温度とか、微妙なことが全部合わさって、「食べてみようかな」って思えるの。
あなたのお友達も、きっとそういうときがあるんじゃないかしら?「さっきは食べなかったのに、誰か別の人からなら食べた」っていうことがね。それは、気まぐれなんかじゃなくて、「その瞬間の心が食べたがってた」っていう、すごく正直な気持ちなのよ。
今日の私は、ごはんを食べられなかったけど、軟骨を少しだけ味わうことができたんだ。それだけで、ママもお姉ちゃんもほっとした顔をしてくれたの。
私も、自分でちょっとだけ、まだいけるって思えたのよ。
たとえ少しでも、食べられたっていうことは、今日という一日を乗り越えるための大きな一歩。だから、私はまだ、ちゃんと生きてるって言えると思うんだ。
少しずつ弱っても、私はまだ、ここにいたい

正直に言うとね、私、自分の身体が少しずつ弱ってきてるのを感じてるの。昨日より歩けなくなってるし、眠る時間がどんどん増えてるんだもの。大好きだったはずのごはんも、食べたい気持ちはあるのに身体がついてこないんだよね。
でもね、悲しいとか、苦しいとか、そういう気持ちばっかりじゃないのよ。この時間が、「もうすぐ終わる」っていう感じではなくて、「今がちゃんとある」っていう、穏やかな感覚なの。
だって、目を開ければママがいて、お姉ちゃんがいて、みんなが私のことを見ててくれるんだもん。そばに誰かがいるっていうだけで、私たちって、ものすごく安心できるんだ。
だから私は、まだここにいたいの。もう少しだけ、あなたたちと一緒に過ごしていたいの。
毎日が同じじゃなくていい。昨日できたことが今日できなくても、それでもいいの。だって、今できることを一つひとつ積み重ねて、今日という日をちゃんと生きてるんだから。
あなたのお友達にも、きっと同じように感じている子がいると思うの。「もう前みたいには戻れない」って知りながら、それでも「ここにいたい」って、静かに思ってる子。
そんなときは、何も言わずにそばにいてくれるだけで十分なの。言葉じゃなくても、ぬくもりや、目の優しさや、そっと添えてくれる手だけで、私たちは「まだ生きてていいんだ」って感じられるから。
今日は、たくさん眠った。ほんの少しだけ歩いた。軟骨をちょっとだけ食べた。どれも小さなことだけど、どれも私にとっては「生きてる証」だった。
少しずつ弱っていくのは、たしかにさみしいことかもしれないよね。でも、私はまだ、ここにいるよ。そして、家族のみんなと過ごすこの時間が、何より大切なんだよ。
リアより


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