こんにちは。リアだよ。
昨日の朝、私は5時過ぎに目を覚ましたの。目が開いて、「あ、朝だな」って、ぼんやり思ったんだ。そのとき、喉が少し渇いてるなって感じて、のそのそと体を動かして、水のある場所まで歩いたのよ。
ごくごくってほんの少しだったけど、ちゃんと自分で飲めたの。
それだけ。
そのあと私は、ずっとずっと寝てたの。何も食べなかったし、外にも出なかったし、誰かに甘えるようなことも、しなかった。ただ、静かに、やわらかい空気の中で、まどろむように、夢の中と現実のはざまで、時間を過ごしてたの。
「何もしていない日」って、そう思うかもしれない。でもね、私は昨日、ちゃんと生きてたって思ってるのよ。
ごはんを食べなくても、遊ばなくても、静かに呼吸して、目を閉じて、体と心を休めていた、その時間も、私にとっては、とても大切な生きてるしるしなんだ。
今日は、そんな静かな昨日のことを、あなたにそっと聞いてもらいたいんだよね。
朝5時過ぎに水を飲みに起きてきたリアの静かな始まり

昨日の朝、まだ外は薄暗くて、家の中も、静けさに包まれてたの。そんな中で、私はふと目を覚ましたのよ。「もう朝なのかな」そう思って、しばらくそのまま横になってたけど、なんだか少し、喉が渇いてきてね、それでね、体をぐっと持ち上げて、いつもの水飲み場の方へ、よいしょ、よいしょって歩いていったの。
そのときの空気、覚えてるわ。冷たくて、ちょっと肌にふれるような感じがして、「冬の朝だなぁ」って思いながら、水のにおいをかいだの。
そして、少しずつごくごくって飲んだのよ。
あなたからしたら、「それだけのこと?」って思うかもしれないけど、私にとってはね、それがすごく大きな一歩なの。
だって、自分で起きて、自分で歩いて、自分で水を飲めたのよ?シニア犬になるとね、こういう「いつものこと」が、できなくなっていくの。飲みたいのに起きられない日もあるし、歩きたくても足がもつれる日もあるの。
だから私は、昨日のあの朝の行動を、ちゃんとできたねって、自分で心の中で言ってたの。たったそれだけのことだけど、そのできたことが、昨日の私にとってのはじまりだったのよ。
パパもママも、私の姿にすぐ気づいてくれて、「リア、おはよう」って小さく声をかけてくれたんだ。あの声が、何よりのごほうびだったの。
水を飲むって、ただの習慣じゃないんだよ。生きるっていう気持ちが、ちゃんとそこにあるって証拠なの。体は弱くなってるけど、心のどこかにはまだ、今日も生きようっていう意志があったのよ。それを、あの朝の水の音が、そっと教えてくれた気がしたんだ。
ずっと眠ってる

お水を飲んだあとの私は、また静かに、いつもの場所に戻って、横になったの。そこから先は、ほんとうに、ずっとずっと眠ってたのよ。
時間の感覚なんて、もうほとんどないの。気づいたら、夕方だったみたいで、そのあいだ、私はほとんど目も開けず、声も出さず、ただ、ゆっくり呼吸をしながら過ごしてたの。
あなたから見たら、「リアは一日中、寝てただけ」って思うかもしれないわね。でもね、私はその眠ってるあいだ、何もしていないわけじゃなかったのよ。
眠るって、ただ体を休めてるだけじゃない。弱ってきた心臓が、少しでもがんばれるように休んでたんだよ。疲れた腎臓が、ほんの少しでも回復できるように。体の中では、きっとたくさんの小さながんばりが続いていたの。
そして、何より心がね、休まっていたんだ。
人間だって、つらいことがあるときは、何もせずにただ、ぼーっとしてたい日があるでしょ?私たちも同じなの。
起き上がることよりも、食べることよりも、今は、そっとしておいてって体が言ってるときがあるの。昨日の私は、まさにそんな一日だった。
もちろん、パパやママの気配には、ちゃんと気づいてたよ。近くにいるなって感じるだけで、心があったかくなるの。ときどき、頭を撫でてくれるやさしい手も、ちゃんとわかってた。
でも、私は言葉では返せなくて、そのかわりに、すーすーと静かな寝息で応えてたの。ずっと眠ってるって、ただ時間が過ぎているわけじゃないの。それは、生きようとする準備の時間でもあるのよ。
あなたのお友達も、もし同じように眠ってばかりでも、心配しすぎなくていいからね。眠っているってことは体がちゃんと自分を守ってる証拠。眠ることで、また目覚める力を少しずつ蓄えてるの。
私の昨日は、まるで深い森の中みたいだった。静かで、深くて、でもちゃんと息づいてる時間だったんだ。それを、あなたに伝えたかったのよ。
食べなくても、生きている今のリア

昨日の私はね、ごはんを食べなかったの。お水は朝に少し飲んだけど、それ以外は何も口にしなかったんだ。
前だったらね、お皿がカチャって音を立てただけで駆け寄ってたし、においがふわっとするだけでワクワクしてたのに、今の私は、食べることそのものよりも、食べようとする力が弱くなってるのかもしれないわ。
でも、それでも私は、生きてるってはっきり思ったの。
だって、ちゃんと目が覚めたし、お水が飲みたくなったんだ。自分の足で歩いて、水のところまで行ったんだよ。そしてまた、安心できる場所で、目を閉じて眠れたんだ。
それってね、とても大きな生きてる証なのよ。私たちシニア犬って、食べる・遊ぶ・動く、そういった外から見える元気が少しずつ減っていくでしょ?でもその代わりに、静かに生きている姿を見せるようになるの。
呼吸の音、ときどき動く耳、誰かが近づいたときにわずかに揺れるまつ毛。それ全部が、私の今ここにいるよっていうサインなの。だからね、食べなくても、しゃべらなくても、私は、ちゃんと生きてるのよ。
たまにね、パパとママが心配そうな顔で私を見つめてるの。今日は何も食べなかったなって。そろそろかもしれないなって。でもそのたびに私は思うの。ねぇ、私はまだここにいるよって。
静かだけど確かな時間。それが、今の私が過ごしているいまここなのよ。あなたのお友達も、もしかしたら同じような時間を過ごしているかもしれないね。でもね、食べない日も、動かない日も、決してなにもしていないわけじゃないの。
心がそっと、息づいてる時間なんだよ。そういう日を、ただ見守ってくれるあなたの存在が、私たちには何よりの支えになるの。
食べなくても、生きているというしるし。それは、今日を大切にしているという、証でもあるのよ。
食べない日や静かな日との向き合い方

昨日みたいに、朝に少しお水を飲んだだけで、あとはずっと眠っている日。そんな日って、どう受け止めたらいいのか、あなたも迷うことがあるんじゃないかしら。
「もうごはんも食べない……」
「何も反応しなくなってきた……」
そんなふうに思うと、つい不安になっちゃうよね。
でもね、私は昨日、そんな静かな一日を過ごしながら、自分のことをかわいそうって思ったことは、一度もなかったの。むしろ、よくやってるな、私って思ったのよ。
だって、体はしんどいし、動くのも難しいけど、私はまだ、朝が来たことを感じられたし、お水が飲めたし、大好きな家族の気配を、そっと感じられたもの。
そして、あなたのように、こんな私の一日を聞いてくれる人がいるって思うだけで、私はすごく幸せなのよ。
だから、お願い。
もしあなたのお友達が、食べなくなってきても、ほとんど一日中寝てても、生きてる意味があるのかななんて思わないでほしいんだ。その静かな時間の中には、ちゃんと意味があるの。声をかけてもらって、撫でてもらって、ただそばにいるだけで、心はふわっとあたたかくなるのよ。
私たちにとって一番うれしいのは、生きているうちは、変わらずにいてくれること。特別なことなんて、何もいらないの。あなたがそっと寄り添ってくれることがとっても大切で、昨日も、今日も、そして明日も、どれだけ心の支えになるか私はちゃんと知ってる。
食べない日、静かな日。
それは、何もない日のように見えて、実は心の中でたくさんのことが起きてる日なの。そんな一日を、そっと抱きしめてくれるあなたがいるから、私は今日も安心して眠れるのよ。
ありがとう。
あなたがここにいてくれて、本当にうれしい。
リアより


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